具志堅用高の王座陥落から40年

 今から40年前の今日81年3月8日に沖縄の具志川市体育館で行
われたWBA:Jフライ級タイトルマッチで、王者の具志堅用高は
挑戦者のペドロ・フローレスに12RTKOで敗れ14度目の防衛に失
敗した日である。

 試合は1Rから具志堅が猛攻を仕かける形で挑戦者を圧倒して
いたのだが6Rあたりから挑戦者もペースアップし、迎えた8Rの
中盤から具志堅は打ち負け始め終了間際にロープの最下段に腰
を落とす形でダウンを取られる。

 以後は挑戦者のプレッシャーに一方的に押され場内の具志堅
コールも虚しく迎えた12Rに赤コーナーに詰められて一方的に
打ちまくられ2度目のダウンを喫し、なんとか立ち上がったと
ころに再び集中打を受けて遂に具志堅コーナーからのタオル投
入で試合は終わった。

 具志堅陣営は今回の防衛戦を具志堅の故郷沖縄での凱旋防衛
戦にするために試合感覚を4か月空け、挑戦者にも再戦に強いと
いう事から前回苦戦したフローレスを選んだ。

 というのも具志堅は初防衛戦でダウンを喫し目も切られるなど
大苦戦したハイメ・リオスを5度目の防衛戦でTKO勝ちしているし、
2度目の防衛戦で2-1の判定勝ちだったリゴベルト・マルカノに
も7度目の防衛戦で完璧な試合運びを見せ7RでKOしているから
そういった事例を考えたのだろう。

 実際フローレスの前評判は決して高いものではなく3Rにダウン
を奪った時も‘まだ早い’と場内で声が飛んだほどだったわけで、
具志堅の不調と相手を軽く見ていたからと苦戦した原因が語られ
ていた。

 だからこそ再戦ではきっちり勝つと思われたのだが立ち上がり
こそよかったものの尻すぼみ状態になり最後は‘まさか’のKO負け
なのだから驚いたのだが、40年経った今改めて考えるとフローレ
スとの相性の悪さが特筆される。

 フローレスは年齢的に30歳近くKO数も少ないのだが逆に打たれ
強くタフでパンチ力はない一方、旺盛な手数が出るわけでポイント
こそ大差だったものの手こずった11回目の防衛戦の相手・金龍弦
に近いタイプ。

 金は手数が少なかったのに対しフローレスの手数は多いので、
具志堅にとっては最悪の相性だったという事だろう。

 しかも具志堅は12度目の防衛戦の直後に引退を仄めかすなどモ
チベーションの低下があったし、後から分かったのだが具志堅の
内臓はボロボロだった事を考えると下り坂に差し掛かっていた事
もあるし相性も考えず年齢とKO数の少なさで安易に選んだとしか
思えないのだ。

 そういう意味で王者のモチベーションと、挑戦者の相性という
2つの要素が具志堅の王座陥落の原因ではないだろうか。

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