ヘアサロンうつのみや・オーナーのスポーツやヒーローもの、雑談ネタを徒然なるままに
こーじ苑
高校野球・茨城県代表の悲劇は再び・・・
早いもので今年の夏の甲子園が終わって1週間が経ち、甲子園を沸かせた
高校生達の一部は明日から台湾で始まるU-18世界選手権に出場する。
今年の夏の甲子園は初出場の前橋育英が岩国商・樟南・横浜・常総学院・
日大山形に延岡学園に勝って優勝を飾ったのだが、何といってもターニング
ポイントになったのがベスト8での常総学院戦だろう。
0-2と9回2アウトまでリードを許し6番の2塁ゴロで試合終了と思いきや、微妙な
イレギュラーでエラーとなると連続2ベースで追い付き10回にサヨナラ勝ちをした
のだから まさしく死の淵からの生還だしベスト8に残ったチームの中では最強と
思われた常総学院に逆転サヨナラ勝ちだから勢いが付かないわけがない。
反対に常総にしてみるとエースの飯田が あと1イニングを抑えればベスト4
進出というところから熱中症によるダウンで降板し、2アウトランナーなしまで追い
込みながらの悪夢だったわけだ。
9回2アウトまでリードし最後の打者もアウトと思われたのがエラーから逆転負け
といえば、茨城県代表は今から37年前にも その‘悲劇’を経験している。
37年前は76年の選抜で鉾田一が優勝した崇徳にやられているのだ。
この大会で左腕の戸田秀明を擁する鉾田一は初戦で糸魚川商工相手にノー
ヒットノーランを達成し迎えた優勝候補の崇徳戦。
実質エースで4番という戸田のワンマンチームだった鉾田は7回まで崇徳の
黒田からノーヒットに抑え込まれ‘初戦でノーヒットノーランをしたチームが次は
ノーヒットノーランを食らうのか’と思われていた8回に先頭の戸田がHRを放ち
待望の先取点を挙げると9回も二者連続三振で2番の樽岡も1塁ゴロ。
これで試合終了と思いきや1塁手がトンネルすると続く小川の遊ゴロを今度は
ショートが弾き1・2塁となると緊張の糸が切れた戸田から4番の永田が逆転の
3ベースを放つと更に3安打を集中し一挙4点を取って逆転勝ち。
これで波に乗った崇徳は福井・日田林工・小山に勝って初出場&初優勝を
飾ったのだ。
高校野球では‘○○県代表に勝ったら優勝する’などというジンクスがあるが、
茨城県代表に2アウトランナーなしから相手エラーで逆転勝ちしたチームは優勝
するというジンクスになりかねないぐらい印象深い一戦だった。
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あと、リードしていたチームがあと1人を抑えれば勝てる状況でエラーが切っ掛けで逆転負けした試合というと、1987年夏1回戦の徳山vs東海大山形を思い出します。
私が生で見た、九回裏ニアウトからの悲劇といえば、12年前の茨城県大会の決勝。中日・オリックスの長峰がいた水戸商と、西武の大崎・横川がいた選抜優勝の常総が決勝で激突。長峰が9回裏2アウトまで追い込み、あとアウトひとつでゲームセット。常総ベンチでは泣きじゃくる選手がいる中、大崎が2ストライク3ボールから同点ホームランを打ち、後続の上田捕手がサヨナラ弾を放ち、常総の逆転勝ち。9回2アウトには何があるか分かりません。(ちなみに、長峰は鉾田出身で、中学では磯山さやかの一つ下の後輩、東野の二つ上の先輩にあたりますね。。)
両試合とも強烈な印象ですが、法政一対境は境打線が打てなさ過ぎたので‘こういう結末もアリかな’と思ってました。
しかし徳山-東海大山形はHRで先制した徳山に対し、
山形は1アウト3塁から楽々犠牲フライの当たりで3塁ランナーが躊躇し直後のPゴロだっただけに衝撃的でしたね。
徳山高OBの人によれば当事者の温品投手は あれで超有名人になったそうですね。
実は私は77年の1学期だけ事情があって筑波で過ごしているので茨城代表にはシンパシーを感じるものがあります。
77年は決勝で大本命だった土浦日大に木内監督率いる取手二が逆転勝ちして甲子園出場し初戦で掛川西に完勝したのが印象深いです。
一ノ戸は76年は2年生で1番ショートでして選抜では戸田と大森に続いて3人目のヒットを打った選手ですね。
夏も2安打放ってますけど、現在監督ですか。
76年の鉾田一の外野はレフト高田、センター吉本、ライト菅谷or大井川でしたから東野の父君は苗字が変わったか出場してないかのいずれですね。
崇徳が逆転した後2アウト3塁から3点目のタイムリーを放ったのがハンカチ男時代の早稲田監督・應武氏でした。
大分昔の噂ですが、そのときのエースは、裏社会に行ったとかいかなかったとか。。。ある本によると、夏は、地方大会前の練習中に肘を痛めて、投げるたびに激痛が走り、とても投げられるような状態ではなかったらしいです。その後、巨人の中尾スカウトがやってきて、上位指名をする約束をし、町民は狂喜乱舞、お祭り騒ぎ。しかし、ドラフトの蓋を開けると、巨人には沖縄の選手が指名されたとか。。。
当時 私が住んでいたのは新治郡桜村と言ってましたからね。
やはり筑波大学があるのが大きいですね。
土浦日大は74年にタイガース入りした大型投手・工藤一良を擁して優勝候補に挙げられ春夏連続甲子園出場してました。
それ以降は茨城代表=土浦日大というイメージになりましたね。
取手二のエースが肘を痛めていたというのは甲子園入りして知りまして、2回戦では控え投手が投げて負けてましたからね。
その後そういう顛末を迎えたというのは意外でしたけど、84年夏に優勝したエースの素行を見ると頷けないでもないですね。
説明不足ですいません。その話は、取手二の方ではなく、ノーヒッターの方です。
土浦日大には、阪神で活躍した工藤投手って凄い投手がいた、と聞いています。その頃の監督が58年に引退し、格闘技の方に回ってから野球部は弱体化したのかもしれません。
そういえば知人が住んでいた水海道も合併で常総市に
なってますから、新治郡などという地名も知らない世代が増えるでしょうね。
やはり筑波大の力は大きいですよね。
余談ながら通っていた竹園東中は私が在籍した頃は校歌もなかったのですよ。
なるほど、一時期そういえば そんな話が某掲示板に載ってました。
土浦日大でも監督が代わるとこういうものなのですね。