江川卓が小早川毅彦から引導を渡されて30年

 今から30年前の今日87年9月20日に広島市民休場で行われた
カープ-ジャイアンツ戦で江川卓は2-1とリードして迎えた9回
裏に小早川毅彦から逆転サヨナラHRを打たれて負け投手になった
のだが、何よりも打たれた江川が涙を流しながらマウンドを降りて
行ったのが印象的で後に江川が引退を決意した一戦だった。

 江川卓の投球スタイルは高校時代から剛速球を投げ込んで高目の
球で空振りを取るというのを身上としていたものの、入団4年目の
82年に肩を痛めてから徐々に成績が下降し始め前年の81年に20勝
した時には‘何回20勝するのだろうか’と思っていたが81年の20勝
が最初で最後になってしまった。

 85年に11勝7敗・防御率5,28だった翌86年は中国針の治療効果
で16勝6敗・防御率も2,69と復活し、87年も最終的に13勝を挙げ
ていた事から年齢的にも32歳という事もあって あと5年はプレーで
きるものと思っていた。

 しかしストレートへの拘りを持ち続けた江川にとって技巧派への
転向は受け入れがたかったようで速球派投手として生き残れるかと
いう思いから、当日は肩のコンディションもよかったので小早川と
の速球勝負を挑んだらしい。

 完璧に投げたと思われたインコースのストレートを打たれた事に
よって自信を失ったらしく、残り2回の登板では1週間後の27日に
タイガース相手に1失点して勝ったのが現役最後の勝利となった。

 この年に行われたライオンズ相手の日本シリーズでは後楽園で
行われたG3で先発して8回まで投げ4回にジョージ・ブコビッチ、
6回に石毛宏典から打たれたソロによる2失点で抑えたもののジャ
イアンツ打線が郭泰源相手に8安打しながら4併殺を喫して1点に
抑えられ負け投手になってしまい現役最後の登板を勝ちで飾れな
かった。

 ただ秋山幸二&清原和博というライオンズの若き3&4番を貫禄
十分に見下ろす形で完璧に抑えたのは、怪物と呼ばれた男の最後
の意地だったのか。

 あれから30年経ちバッティングのレベルが上がり、それに呼応
して日本野球のレベルも上がっているので例え剛腕でもストレー
トとカーブだけでは20勝など絶対に無理と思われるのだが、それ
だけにストレートに拘った江川の姿勢は この時代だからだろう。

 それを考えると江川はいい時代に現役でプレーできたわけだし、
そういうピッチングを見られた我々も幸運だったという事だろう。

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