トゥルシエジャパンの’冒険‘が終わって20年

 今から20年前の昨日02年6月18日に行われたサッカー日韓W杯
決勝トーナメント初戦で、グループHを1位通過した日本はグルー
プC2位のトルコに0-1で敗れ敗退が決まると同時にフィリップ・
トゥルシエ監督率いる日本代表の最終戦になってしまった。

 宮城スタジアムで行われた一戦は12分にトルコがCKでウミト・
ダバラが2列目から飛び込んだヘディングシュートで先制すると、
以後は日本の攻撃を固い守りで跳ね返し三都主のFKがクロスバー
を叩いて入らないない場面はあったが結果的に何もできない感じ
で0-1と敗れたのだった。

 その日の夜に共催の韓国がイタリア相手にリードを許しながら
猛攻を仕かけて追い付き、延長で勝ったのを皮切りに準々決勝で
スペインにPK勝ちしてベスト4入りしたので‘トルコ相手に’と忸怩
たる思いに多くのファンは苛まれる事になる。

 とはいえトゥルシエが西澤明訓の1トップなどメンバーを大幅に
変更したりした事についてメディアがバッシングしていたのだが、
どうも今にして思えばチームとしてのスタミナが尽きており仕方
なかったと思えるのだ。

 W杯前にメディアは‘グループステージ突破は開催国ノルマ的な
事を主張していたし、それが4年前にW初出場し3試合で1点しか
取れなかった日本にとって現実的な目標だったと思う。

 今年は日韓W杯から20年という事から当時の出場選手達の証言
などを聞く機会が多いのだが、多くの選手達が‘負けた時はもった
いない’と思っていたけど今思えばグループステージを終えて相当
消耗していたと語っていたのが印象的だ。

 当日の会場はトラックのあるスタジアムで雨が降っており蒸し
暑さという気候的なアドバンテージはなく、トラックのおかげで
サポーターが醸し出す圧倒的なホームの雰囲気も作り出せなかっ
たと思う。

 一方の韓国では夜の試合でトラックのないスタジアム、そして
暑さもあるのだから会場のアドバンテージという事を考えると日
本と韓国で明暗が分かれた形だ。

 つまり横浜でロシアと対戦した時の条件ならトルコにも勝って
いたのに対し、宮城でトルコと対戦した時の条件ならロシアにも
敗れていたのではないだろうか。

 それを考えるとプロ化して10年、W杯出場を本気で狙い始めて
9年で4年前にギリギリでW杯に辿り着いたものの3戦全敗&1点し
か取れなかったチームが、いくら開催国とはいえベスト4に進んだ
りすると世界中から風当たりが強くなると思うのでグループステー
ジ1位通過というのが最高の結果だったのではないかと思うのだ

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