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80年代に出版された某西洋占星術家のエッセイからです。
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この原稿を書くために"さあ、何にしようかナ"と近所を散歩して
いたら、すれ違った人が「まったく運がいいとか悪いとか、同じ
人間なのにどこか違うのかしらネ」と話しながら遠ざかって
行きました。
これは運命を研究している私にとって、一つの問題提起だと
思い、しばらくの間考えてみました。
本当にそうですよね。
だって確かに結果としてマルとバツ、OKとNOがあるのですもの。
一体どこが違うのかしらね!?
というわけで私は、こんな風に考えてみました。
人間には色々な環境、境遇の違いはあるにしても、"今この時、
すでに運を選ぶための色々な準備をしつつ生きている"とまず
仮説を立ててみたのです。
そして、それが報われた時は運がいい、しかし報われなかった
時には運が悪いという結論を出すのでしょう。
とは言え、毎日意識して頑張っているわけではないので、報われ
ない事の方が多く、たまたま人よりちょっと(意識しようがしまいが)
頑張り続けてきた人は、チャンスをつかむという結果になり、
これが運がいいように見えたりもする……。
また日頃から努力を続けてきた人は、いざ目の前にチャンスが
やってきた時にキャッチ出来る。
でも毎日が日曜日だった人には、チャンスが目の前にやって
きても、つかみ方がわからない、つかんでも使いこなせない。
そんな違いが結果として、上手くいった、いかない、という事に
なり、それをある人達は"運"という言葉で片付けてしまうかも
しれない、という事です。
だから運と努力は全く関係がない事はない、と私は思うのです。
努力してもどうせダメ!!と思っているあなたは、なぜ努力
してもダメなのか、その「なぜ」の部分をよ~く考えてごらん
なさいね。
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いわゆる「棚ボタ式の運」というものもありますが、殆どの
日常生活における場合の「運」は日々の努力と無関係ではない、
という考察です。
現在は「ゆとり」の影響か「努力」をせずに「運」だけを
手に入れるといった向きが見られますが、こうした場合の
「運」はやはり努力と無関係ではないようです。
80年代に出版された某西洋占星術家のエッセイからです。
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この原稿を書くために"さあ、何にしようかナ"と近所を散歩して
いたら、すれ違った人が「まったく運がいいとか悪いとか、同じ
人間なのにどこか違うのかしらネ」と話しながら遠ざかって
行きました。
これは運命を研究している私にとって、一つの問題提起だと
思い、しばらくの間考えてみました。
本当にそうですよね。
だって確かに結果としてマルとバツ、OKとNOがあるのですもの。
一体どこが違うのかしらね!?
というわけで私は、こんな風に考えてみました。
人間には色々な環境、境遇の違いはあるにしても、"今この時、
すでに運を選ぶための色々な準備をしつつ生きている"とまず
仮説を立ててみたのです。
そして、それが報われた時は運がいい、しかし報われなかった
時には運が悪いという結論を出すのでしょう。
とは言え、毎日意識して頑張っているわけではないので、報われ
ない事の方が多く、たまたま人よりちょっと(意識しようがしまいが)
頑張り続けてきた人は、チャンスをつかむという結果になり、
これが運がいいように見えたりもする……。
また日頃から努力を続けてきた人は、いざ目の前にチャンスが
やってきた時にキャッチ出来る。
でも毎日が日曜日だった人には、チャンスが目の前にやって
きても、つかみ方がわからない、つかんでも使いこなせない。
そんな違いが結果として、上手くいった、いかない、という事に
なり、それをある人達は"運"という言葉で片付けてしまうかも
しれない、という事です。
だから運と努力は全く関係がない事はない、と私は思うのです。
努力してもどうせダメ!!と思っているあなたは、なぜ努力
してもダメなのか、その「なぜ」の部分をよ~く考えてごらん
なさいね。
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いわゆる「棚ボタ式の運」というものもありますが、殆どの
日常生活における場合の「運」は日々の努力と無関係ではない、
という考察です。
現在は「ゆとり」の影響か「努力」をせずに「運」だけを
手に入れるといった向きが見られますが、こうした場合の
「運」はやはり努力と無関係ではないようです。