ちょいと時間が経ってしまいましたが、10月12日に観劇した三文オペラの観劇記です。う~~ん やっぱりベガーズの方が上……かな 内容的にも演技的にも。。。ま、じいはマクヒース なので、そこのところを理解していただけると嬉しいんですけど。そんなわけで、以下の観劇記、ベガーズとの比較発言多数、あるいはベガーズを観ていること前提で書いてしまってるところもある点はご理解を ではでは早速。。。
今回のお席、プレイガイドじゃない某先行で取ったチケだったんですが、F列センターだったんですよ。「6列目か~~パブリックで前列は初めて。観やすそう…」と思っていったら、何と何と実質3列目 しかも通路側である意味“スペシャル席”だったんですわ こんなところで運を使い果たしてどーするって感じですよね~~~詳細は後ほど ちなみに、通路を隔てた横は若い女の子二人連れ。一人は劇場の住人でもう一方は一般人らしく、劇場の住人な女の子が舞台の話をいろいろしてたんですけど、ふと聞こえてきたのが「レミゼは12回行ったんだよ~」って。「マジで~~あり得ないよ。そんな回数」ともう一人は言ってましたけど……その人にとって、じいは存在自体あり得ないって感じ あと、吉田栄作さんのファンらしき女の子二人、「こんなに前で栄作の汗 が飛んできたらどうしよ~~」って騒いでて……失礼ながらじい、汚いから止めてくれっって 愛とは偉大で残酷なモノですなぁ~~
舞台は段差がなくて客席の階段を降りきったところからステージになってて、後ろに現代的 鉄骨仕立ての二階建てのセットが組んでありました。さしずめベガーズの古典的セットを今風にしたった感じ 何となく舞台の使い方が似てたところもあったし。真ん中には電光掲示板 歌のタイトルや場ごとの説明が流されるので三文オペラ自体初見の人にとってはわかりやすかったんじゃないかな?
ストーリー……時代設定は現代になっていますが、ベガーズと基本的には同じです。娼婦の名前や窃盗団のメンバー名は聞き覚えのある名前ばかりでした。でも、場面の順番やセリフの喋り手も微妙に違うところは頭がちょっぴり混乱 例えばベガーズではピーチャムが喋る手下の紹介のセリフが、メッキーメッサ(=マクヒース的存在)が仲間のことを紹介するセリフに変わっていたりして……あと、ベガーが更に舞台上で別の役を演じるという二重構造になってないところは決定的に違いました。この点が一番問題だと思うんですが、、、後で書きます。
冒頭、ROLLYさんが客席の方からパソを持って登場。トムみたいな演出家的存在って感じでした。手に持っていたパソで電光掲示板を操る設定だったみたいで、いろんな挨拶を掲示した後に、「ところで三文って……いくら?」って 今回はA席チケの7,500円ということになりました その後にいかにもワルそうな男たちがあちこちから登場。ROLLYさん、襲われて身包みはがされちゃって 今年初 舞台でお尻を堪能 ←去年はメタマクだのヴァンパイアだので見まくっちゃったので で、ワル集団のボス、メッキーメッサが現れてケリをつけて開幕~~~
ピーチャムが仕切る乞食集団、今回は「ハロー・ホームレス社」という組織になって、ホームレスたちに障害者を装わせてお金を巻き上げさせてました まさに「人生は裏表」的な考えが根底にあるところはベガーズと同じ。ピーチャムが歌ってた歌の旋律はマジ、ベガーズの「人生には裏表♪」の旋律と全く同じだったし(唯一一致していた楽曲)でもね、、、正直、重かったです あまりにリアルすぎるんですよ。じいの勝手な考えですけど、舞台ってあくまで虚構の中にあるリアリティじゃないと説得力がないと思うので。時代設定を現代にしたから身近に感じることができる……それも違うと思うんですよね。メタマクはその点上手く演出してたと思うんですけど。とにかく 自分の隣にあるような身近さやリアリティでは逆に説得力がなくなるので、再考の余地ありな作品だと思いますね~~
メッキーメッサ、マクヒースとは似ているけど違うキャラ。マクヒースはワルなんだけど憎めない部分があるし仲間との絆も見える。でも、メッキーメッサの方は心底ワルとした思えなくて……ピーチャムに逮捕されそうになって逃亡する時に、ポリーに手下の名簿(ベガーズではピーチャム所有でしたよね~)を渡して、いざという時はこれを警察に引き渡せって言うんですよ これ、仲間を売り渡すってことでしょ~~確かにホントの友情なんて信じられない、食うか食われるかの世界なんでしょうけど、マクヒース@ベガーズのイメージが植えつけられてるじいとしては合点のいかないところが……それに、第3幕、メッキーメッサの処刑を止めるために金を工面したり、処刑されたのが一転、恩赦になってみんなが喜ぶって流れも矛盾してる気がして……そんなに仲良かったっけ???みたいに感じたし。
そんな悪党を演じている吉田栄作さん、ROLLYさんアレンジの楽曲もそれなりに歌いこなしてたし、ワイルドなのが似合うし でも、セリフの抑揚がないというか、ずぅ~~っと語気の強いままというのは聞いてて辛かったです 処刑直前、牢獄で自問自答(シャウトはしません……っていうか、歌がロック調だったのでシャウトしてた)してる場面も説得力なし。メッキーメッサの心模様は伝わってこず 更には 困ったことが一つ っていうか、ファンの方々には謝らないといけない 第2幕、メッキーメッサが娼館で恋の歌を歌う場面があるんですけど、じいの席の方に来て目の前で視線飛びまくりで歌われてしまって ベガーズみたいな直接の絡みはありませんでしたが、正直困りました そんなに迫られても(爆)全然萌えないし、申し訳ないけどこの運は別に使いたい。。。別の意味でドキドキしましたわ
ポリー@篠原ともえちゃん、テレビでめちゃめちゃ流行ってた頃から、はじけキャラとは逆に素顔は美人系ってのは知ってたんですけど、ホント可愛かったです 歌もそっち方面の活動もしているだけあって悪くなかったし。そのポリーの恋敵、ルーシー@猫背椿さん、役回りてきに印象が薄くて扱いが可哀想。ただのあばずれって感じにしか思えなかったので。メッキーメッサを巡っての争いで「猫いらず」(しかも一斗缶)が出てきたのは笑えました~~同じだぁぁ~~最終的にはこの二人には友情が芽生えるんですわ。それもハッキリ描かれてました。ベガーズでは何となく……だったので。
ピーチャム夫人を演じた銀粉蝶さん、さすがでした 優しい表情、媚びた態度、手下をまとめる姐さん的逞しさ、いろ~~んな面を余すとこなく表現されてたと思います。雰囲気もちゃんと出てたし。愛人のジェニー@ROLLY、妙にマッチしてた チラチラ見える女心、生きていくための狡さ等など伝わってきましたね~~~
結末の描き方、あれは納得できないですね~~っていうか、支離滅裂ですわ 三文オペラって、元々は権力とか資本主義を風刺するっていうコンセプトがあるはずなんですけど、とにかく説得力がない メッキーメッサという存在がキャストたちを振り回したりアレコレ考えさせたりする“道具”になってるというのは上手く描かれてると思ったんですけど、メッキーメッサ自体のキャラが定まってない、というかどういう人物にしたいのか伝わってこなかったし、生きるエネルギーさえも感じられないキャラが処刑直前に独断場状態 あれこれ主張しても意味不明なんですよ。更に、メッキーメッサが処刑された後にピーチャムが「現実はこうなるんですけど、これは芝居。このまま終わらないんです」と言ってこれまた社会に対する主張をするところも???ずっと演じてきた役として喋りたいのか、役を脱いだ素の役者として言いたいのか……分かんなかったですね~~
その点、ベガーズの方は素の役者が乞食を演じて、その乞食が舞台上で別の役を演じてるから無理がないと思うんですよ。役を脱ぎ捨てても乞食としての主張として成り立っているので、客席に投げかけられた社会への批判と現実社会との比較・共感・反論は観客自身の中ですればOK なので。
な~~んか、感想も“支離滅裂”になっちゃいましたが、三文オペラ、大きなクエスチョンとフラストレーションが残る舞台でした
今回のお席、プレイガイドじゃない某先行で取ったチケだったんですが、F列センターだったんですよ。「6列目か~~パブリックで前列は初めて。観やすそう…」と思っていったら、何と何と実質3列目 しかも通路側である意味“スペシャル席”だったんですわ こんなところで運を使い果たしてどーするって感じですよね~~~詳細は後ほど ちなみに、通路を隔てた横は若い女の子二人連れ。一人は劇場の住人でもう一方は一般人らしく、劇場の住人な女の子が舞台の話をいろいろしてたんですけど、ふと聞こえてきたのが「レミゼは12回行ったんだよ~」って。「マジで~~あり得ないよ。そんな回数」ともう一人は言ってましたけど……その人にとって、じいは存在自体あり得ないって感じ あと、吉田栄作さんのファンらしき女の子二人、「こんなに前で栄作の汗 が飛んできたらどうしよ~~」って騒いでて……失礼ながらじい、汚いから止めてくれっって 愛とは偉大で残酷なモノですなぁ~~
舞台は段差がなくて客席の階段を降りきったところからステージになってて、後ろに現代的 鉄骨仕立ての二階建てのセットが組んでありました。さしずめベガーズの古典的セットを今風にしたった感じ 何となく舞台の使い方が似てたところもあったし。真ん中には電光掲示板 歌のタイトルや場ごとの説明が流されるので三文オペラ自体初見の人にとってはわかりやすかったんじゃないかな?
ストーリー……時代設定は現代になっていますが、ベガーズと基本的には同じです。娼婦の名前や窃盗団のメンバー名は聞き覚えのある名前ばかりでした。でも、場面の順番やセリフの喋り手も微妙に違うところは頭がちょっぴり混乱 例えばベガーズではピーチャムが喋る手下の紹介のセリフが、メッキーメッサ(=マクヒース的存在)が仲間のことを紹介するセリフに変わっていたりして……あと、ベガーが更に舞台上で別の役を演じるという二重構造になってないところは決定的に違いました。この点が一番問題だと思うんですが、、、後で書きます。
冒頭、ROLLYさんが客席の方からパソを持って登場。トムみたいな演出家的存在って感じでした。手に持っていたパソで電光掲示板を操る設定だったみたいで、いろんな挨拶を掲示した後に、「ところで三文って……いくら?」って 今回はA席チケの7,500円ということになりました その後にいかにもワルそうな男たちがあちこちから登場。ROLLYさん、襲われて身包みはがされちゃって 今年初 舞台でお尻を堪能 ←去年はメタマクだのヴァンパイアだので見まくっちゃったので で、ワル集団のボス、メッキーメッサが現れてケリをつけて開幕~~~
ピーチャムが仕切る乞食集団、今回は「ハロー・ホームレス社」という組織になって、ホームレスたちに障害者を装わせてお金を巻き上げさせてました まさに「人生は裏表」的な考えが根底にあるところはベガーズと同じ。ピーチャムが歌ってた歌の旋律はマジ、ベガーズの「人生には裏表♪」の旋律と全く同じだったし(唯一一致していた楽曲)でもね、、、正直、重かったです あまりにリアルすぎるんですよ。じいの勝手な考えですけど、舞台ってあくまで虚構の中にあるリアリティじゃないと説得力がないと思うので。時代設定を現代にしたから身近に感じることができる……それも違うと思うんですよね。メタマクはその点上手く演出してたと思うんですけど。とにかく 自分の隣にあるような身近さやリアリティでは逆に説得力がなくなるので、再考の余地ありな作品だと思いますね~~
メッキーメッサ、マクヒースとは似ているけど違うキャラ。マクヒースはワルなんだけど憎めない部分があるし仲間との絆も見える。でも、メッキーメッサの方は心底ワルとした思えなくて……ピーチャムに逮捕されそうになって逃亡する時に、ポリーに手下の名簿(ベガーズではピーチャム所有でしたよね~)を渡して、いざという時はこれを警察に引き渡せって言うんですよ これ、仲間を売り渡すってことでしょ~~確かにホントの友情なんて信じられない、食うか食われるかの世界なんでしょうけど、マクヒース@ベガーズのイメージが植えつけられてるじいとしては合点のいかないところが……それに、第3幕、メッキーメッサの処刑を止めるために金を工面したり、処刑されたのが一転、恩赦になってみんなが喜ぶって流れも矛盾してる気がして……そんなに仲良かったっけ???みたいに感じたし。
そんな悪党を演じている吉田栄作さん、ROLLYさんアレンジの楽曲もそれなりに歌いこなしてたし、ワイルドなのが似合うし でも、セリフの抑揚がないというか、ずぅ~~っと語気の強いままというのは聞いてて辛かったです 処刑直前、牢獄で自問自答(シャウトはしません……っていうか、歌がロック調だったのでシャウトしてた)してる場面も説得力なし。メッキーメッサの心模様は伝わってこず 更には 困ったことが一つ っていうか、ファンの方々には謝らないといけない 第2幕、メッキーメッサが娼館で恋の歌を歌う場面があるんですけど、じいの席の方に来て目の前で視線飛びまくりで歌われてしまって ベガーズみたいな直接の絡みはありませんでしたが、正直困りました そんなに迫られても(爆)全然萌えないし、申し訳ないけどこの運は別に使いたい。。。別の意味でドキドキしましたわ
ポリー@篠原ともえちゃん、テレビでめちゃめちゃ流行ってた頃から、はじけキャラとは逆に素顔は美人系ってのは知ってたんですけど、ホント可愛かったです 歌もそっち方面の活動もしているだけあって悪くなかったし。そのポリーの恋敵、ルーシー@猫背椿さん、役回りてきに印象が薄くて扱いが可哀想。ただのあばずれって感じにしか思えなかったので。メッキーメッサを巡っての争いで「猫いらず」(しかも一斗缶)が出てきたのは笑えました~~同じだぁぁ~~最終的にはこの二人には友情が芽生えるんですわ。それもハッキリ描かれてました。ベガーズでは何となく……だったので。
ピーチャム夫人を演じた銀粉蝶さん、さすがでした 優しい表情、媚びた態度、手下をまとめる姐さん的逞しさ、いろ~~んな面を余すとこなく表現されてたと思います。雰囲気もちゃんと出てたし。愛人のジェニー@ROLLY、妙にマッチしてた チラチラ見える女心、生きていくための狡さ等など伝わってきましたね~~~
結末の描き方、あれは納得できないですね~~っていうか、支離滅裂ですわ 三文オペラって、元々は権力とか資本主義を風刺するっていうコンセプトがあるはずなんですけど、とにかく説得力がない メッキーメッサという存在がキャストたちを振り回したりアレコレ考えさせたりする“道具”になってるというのは上手く描かれてると思ったんですけど、メッキーメッサ自体のキャラが定まってない、というかどういう人物にしたいのか伝わってこなかったし、生きるエネルギーさえも感じられないキャラが処刑直前に独断場状態 あれこれ主張しても意味不明なんですよ。更に、メッキーメッサが処刑された後にピーチャムが「現実はこうなるんですけど、これは芝居。このまま終わらないんです」と言ってこれまた社会に対する主張をするところも???ずっと演じてきた役として喋りたいのか、役を脱いだ素の役者として言いたいのか……分かんなかったですね~~
その点、ベガーズの方は素の役者が乞食を演じて、その乞食が舞台上で別の役を演じてるから無理がないと思うんですよ。役を脱ぎ捨てても乞食としての主張として成り立っているので、客席に投げかけられた社会への批判と現実社会との比較・共感・反論は観客自身の中ですればOK なので。
な~~んか、感想も“支離滅裂”になっちゃいましたが、三文オペラ、大きなクエスチョンとフラストレーションが残る舞台でした