遅ればせながら、8月30日に観劇したこまつ座公演「闇に咲く花」の観劇記です。全くの偶然
前楽公演だったんですが、その時できる完成に近い公演を観られたんじゃないかな~~と思います
不安な部分はほとんど感じられなくて作品に没入できたし。
ストーリーはこんな感じ。
進駐軍の占領下で、今日を生き抜くために人びとは闇の売り買いに必死だった。親を亡くし、子を亡くし、夫を亡くし、友を亡くした人びとが、世の中の新しい枠組みの中で、無我夢中に生きていた。ひとり息子の健太郎を戦地に失った愛敬稲荷神社の神主牛木公麿も、今では近くに住む五人の未亡人たちと寄り合って、闇米の調達に奔走している。誰もがあの戦争を忘れ始めていた夏。思いもかけず、死んだはずの健太郎が愛敬神社にひょっこりと帰還する。境内に笑顔が弾け、人びとは再会を喜び合う。しかしその喜びもつかの間、健太郎の背後には、巨きな黒い影がしのびよっていた・・・・。全てを忘れかけていた人びとのもとへ、「生きていた英霊」牛木健太郎が贈り届けた、これは忘れてはならない「記憶」の物語。(こまつ座HPより)
復員後、健太郎は金星スターズの入団テストに合格し、公麿や5人の戦争未亡人達と幸せな毎日を送っていたのに、GHQの諜報員
諏訪三郎によって、健太郎はC級戦犯であることが告げられる。その罪は、戦争中にグアムで島の少年とやったピッチング練習で額にボールを当てて脳震盪を起こさせたことだった。それを告げられた健太郎は、ショックで記憶障害に陥るが健太郎の親友で学生時代にバッテリーを組み、今は精神科医となった稲垣が記憶を取り戻すように奮闘、健太郎は回復してGHQから身を隠そうとするが、諏訪がそれを暴き出し、健太郎は自分が正気であることを告げて連行、命を落とすことになった……と、まぁハッピーエンドにはならない結末なんですが、じいは不思議と
涙は出てきませんでしたね~~それよりも「静かな怒り」というのかな、戦争に対して、戦後処理に対して、今の日本について、いろ~~んメッセージが込められて、それに唸らされました
役者さんたちも皆さん素晴らしくて……オバチャン(失礼
)5人衆、小気味良くて逞しくて元気を貰えますね~~神主の牛木公麿の辻萬長さん、おやじ役は言うことなし
でね~~キーパーソン
超重要な役・健太郎を演じた石母田史朗さん。悪くはなかったんですが、ちょっと影が薄かったかな~~もう少し存在感がほしかったような
健太郎の発する言葉が力強いだけに、そこに込められた健太郎の気持ちが伝わってくると良いかな~って
第1幕はちょっと間延び感あり
特に5人の戦争未亡人それぞれが自身の家庭話をするところや神社にあったおみくじを引く→大吉→良いことが起きるの流れ……状況説明をするのに必要だし、大変な時代だからこそ暗い雰囲気にならないように、人の逞しさや活き活きしたエネルギッシュな部分を表わすのにホンワカする場面があるのはいいんですが、あまり長すぎると観ている方もしんどいし疲れるし飽きるし。。。ちょっと
しそうになっちゃった
そこのところをもうちょっと勢い良くまとめてもらえると良かったかな~~
でも、1幕後半~2幕は考えさせられることばかり。脳内フル回転で頑張りましたわ
特に神道の話
じいにとってはそんなに明るくない分野の話だったので「なるほどね~」と妙に
納得
で、ちょっと捻くれた見方かな~と思うんですけど……牛木公麿が「神道はゴム鞠みたいなものだ。外から圧力がかかれば小さくなり、それがなくなれば元通りになる。だからお上とも言う通りにして上手く付き合って、時が来ればまた自由になれる。頭を挿げ替えればいいだけさ」みたいなことを言う場面、 キリスト教とかイスラム教とか一神教はご都合主義は許されないわけで……特に占領軍、つまりキリスト教徒が多数を占める国という見方をすると、すっごく皮肉な感じがしました。一神教は上に掲げるものがいて、ある意味それを信じ込んで?従って?生きているわけで、そういうものを信じている人たちが占領する・戦争犯罪を裁く資格があるのか。。。勝者が裁く戦争裁判の問題をついているように感じたのは……気のせい
で、やっぱり一番心に残ったのは、健太郎が記憶を取り戻していく中で父親と議論をするところ。健太郎が「境内が焼死体置き場になったとき、ほんとうの神道は滅んでしまった。神社の境内は、普通の人たちが心の垢を捨てに来て、さっぱりした心になって帰る、そういうところだった。でも、いつの頃からか神社は死の世界への入口になってしまった。父さん、出征兵士がいったい何人ここから旅立って行ったんです?」「その記憶を取り戻してください。みんな健忘症だ。ついこのあいだおこったことを忘れちゃだめだ。忘れたふりはなおいけない。」ここまでストレートで骨太で大事な言葉っていうのはそうないと思いました。いろ~~んな思いが詰まったメッセージだと思いますね~~神社ではお葬式をしない、神道は死とは無縁のものというのは、じい的にすっごく勉強になったんですけど、そうだとすると思いっきり指摘してますよね~~靖国神社
死んで英霊になって会う場所じゃないんですよ、神社は
あの神社自体、明治になってから作り出された考えの下に成り立っているものであって、無条件に“本物の神道”って言えるものじゃないんですけど……真正面からそれを言い当ててる見事なセリフ
ラスト、健太郎の死を告げられて悲しみに満ちた愛嬌稲荷神社。そんなことはお構いなし、外では平和を願う太鼓が鳴り響く……それを鳴らしているのは戦争中に兵士を戦地に送り出した神社の数々。重かったですね~~戦前戦後、そうしないと生きていけなかったんだと思うから否定できないことだけど、時代の風潮に流されて時代ごとに従うものを挿げ替えて犯した罪を見過ごしてもいいのか、、、私たちに突きつけられた大事な課題だと思いました。過去に目を向けない、関心を示さないことは忘れたふりをしているのと同じこと。優しくて厳しいメッセージでしたね~~そして、、、静かな怒りが向けられたのは、、、上に立つ者たちに対して
過ちに目を向けずに都合良く昔に立ち返る。特にこの数年いろんな波紋を起こしたニュースが続いてますからね~~激しい怒りではないけど、逆にその静けさが不気味で心底怒ってて……そんな作者の気持ちが顕れてるように思いました