なんだかんだで4月から新学期だ。
そうなると、職場に新しい研修医の先生が来る。
医師国家試験に合格したホカホカ。
研修医一年目でもあるけど、社会人一年目でもある。
そして、自分に挨拶をしてくれる。
「よろしくお願いします!慣れずにいろいろご迷惑をおかけすると思いますが、色々ご指導ください!」
なんなんだ、このはちきれないほどのフレッシュさ!無垢さ!
驚きを通り越して感動する。
敬語の話し方も、まだ慣れてないらしく、なんだか妙な耳触りがある。
テレビや本で聞きかじった、まだ馴染んでない敬語。
医学部は学生生活が6年ある。少し長い。
医師国家試験はマークシートで、センター試験と同じく、その単純作業は辛い。
延々と鉛筆で黒丸を塗りつぶす作業は、人間性をそぎ落とすのに十分。
・・・・・・・・・・
そんな長い時期を終え、長い長い学生生活を終え、医師として働き出す研修医の皆さん。
色んな理想に燃えながら医師になった皆さん。
それぞれに人生があるから、それぞれ考えていることは違うけれど、
医者の仕事の基本構造は同じなのです。
それは、人がどうやって生老病死と向き合うかということ、
そして、「個」はどう言う風に「他」と関わるかということ。
新研修医の皆さん。
一般的には第一印象は大事かもしれないけれど、
僕に関しては、そんな明るく爽やかに、それでいてガチガチに緊張して挨拶しなくてもよいよ。
僕は人を第一印象だけで判断したり決してしないから。
いつもどおりの感じでいいと思う。
その人の人間性は、挨拶なんかじゃわからない。
日々の態度や患者さんへ向かう姿勢に、おのずから表れてしまうもの。
意識よりも、無意識の世界で正直に出てくる。
要領よくさぼって、人に仕事をうまい具合に押し付けて、世渡り上手だと思ってる人は、その通りに見られるもの。
不器用だけどひたすら真面目で誠実な人は、その通りに見られるもの。
頭は良くとも自意識過剰で他を損なう人は、その通りに見られるもの。
余計なことは気にしなくていいのです。
どんなに隠していても、誰かが必ず見ている。
必死に患者と向き合って、人が見ていないところで他に尽くしている人も、誰かが必ず見ている。
普段の何気ない一挙一動に、隠された日常は残像のように影絵で透けて見えてくる。
表面的な知識ではなくて、深い思考を。
表面的な技術ではなくて、深い哲学を。
理屈や理論よりも、やさしさや思いやりを。
自分の中に、他者を。
「仕事」自体が初めての人たちにとって、
少し先を歩く僕たちの「仕事」ぶりは、
否応なく一つの物差しになってしまう。
宇宙空間ではリンゴの大きさも太陽の大きさも分からない。
未知の世界では、何でもいいから、自分の物差しが必要になる。
少し先を歩く先輩の僕らは、物差しになる。
そうして、僕らは、後輩の脳の中へ「記憶」という形の物差しで住み続けていく。
誰かの脳の中でも、別の人生を歩く、そんな自分がいる。
自分という人間は、そんな多世界を生きている。
自分の脳から見た主観的な世界だけではなくて、誰かの脳の中に納まった少し加工編集された自分と共に。
新学期から来る一年目研修医の先生は、目がキラキラしている。
漫画のように星がキラキラと見えてきそうだ。
よどんだ空気を身にまとう僕ら、不必要にシステムに慣れ過ぎた僕らへと、新しい風を吹かせてくれる。
若い世代の網膜に映る、少し前をテクテク歩く僕らの後姿。
記憶したくても、したくなくても、「記憶」として強く深く刻印される。
それは自分の過去を振り返ると、よくわかる。
下の世代は、過去の自分そのものであり、
思いを馳せるのは今の自分であり、その重なりが未来の自分。
こうして、過去の時間を重ねながら、未来は形作られていく。
そうなると、職場に新しい研修医の先生が来る。
医師国家試験に合格したホカホカ。
研修医一年目でもあるけど、社会人一年目でもある。
そして、自分に挨拶をしてくれる。
「よろしくお願いします!慣れずにいろいろご迷惑をおかけすると思いますが、色々ご指導ください!」
なんなんだ、このはちきれないほどのフレッシュさ!無垢さ!
驚きを通り越して感動する。
敬語の話し方も、まだ慣れてないらしく、なんだか妙な耳触りがある。
テレビや本で聞きかじった、まだ馴染んでない敬語。
医学部は学生生活が6年ある。少し長い。
医師国家試験はマークシートで、センター試験と同じく、その単純作業は辛い。
延々と鉛筆で黒丸を塗りつぶす作業は、人間性をそぎ落とすのに十分。
・・・・・・・・・・
そんな長い時期を終え、長い長い学生生活を終え、医師として働き出す研修医の皆さん。
色んな理想に燃えながら医師になった皆さん。
それぞれに人生があるから、それぞれ考えていることは違うけれど、
医者の仕事の基本構造は同じなのです。
それは、人がどうやって生老病死と向き合うかということ、
そして、「個」はどう言う風に「他」と関わるかということ。
新研修医の皆さん。
一般的には第一印象は大事かもしれないけれど、
僕に関しては、そんな明るく爽やかに、それでいてガチガチに緊張して挨拶しなくてもよいよ。
僕は人を第一印象だけで判断したり決してしないから。
いつもどおりの感じでいいと思う。
その人の人間性は、挨拶なんかじゃわからない。
日々の態度や患者さんへ向かう姿勢に、おのずから表れてしまうもの。
意識よりも、無意識の世界で正直に出てくる。
要領よくさぼって、人に仕事をうまい具合に押し付けて、世渡り上手だと思ってる人は、その通りに見られるもの。
不器用だけどひたすら真面目で誠実な人は、その通りに見られるもの。
頭は良くとも自意識過剰で他を損なう人は、その通りに見られるもの。
余計なことは気にしなくていいのです。
どんなに隠していても、誰かが必ず見ている。
必死に患者と向き合って、人が見ていないところで他に尽くしている人も、誰かが必ず見ている。
普段の何気ない一挙一動に、隠された日常は残像のように影絵で透けて見えてくる。
表面的な知識ではなくて、深い思考を。
表面的な技術ではなくて、深い哲学を。
理屈や理論よりも、やさしさや思いやりを。
自分の中に、他者を。
「仕事」自体が初めての人たちにとって、
少し先を歩く僕たちの「仕事」ぶりは、
否応なく一つの物差しになってしまう。
宇宙空間ではリンゴの大きさも太陽の大きさも分からない。
未知の世界では、何でもいいから、自分の物差しが必要になる。
少し先を歩く先輩の僕らは、物差しになる。
そうして、僕らは、後輩の脳の中へ「記憶」という形の物差しで住み続けていく。
誰かの脳の中でも、別の人生を歩く、そんな自分がいる。
自分という人間は、そんな多世界を生きている。
自分の脳から見た主観的な世界だけではなくて、誰かの脳の中に納まった少し加工編集された自分と共に。
新学期から来る一年目研修医の先生は、目がキラキラしている。
漫画のように星がキラキラと見えてきそうだ。
よどんだ空気を身にまとう僕ら、不必要にシステムに慣れ過ぎた僕らへと、新しい風を吹かせてくれる。
若い世代の網膜に映る、少し前をテクテク歩く僕らの後姿。
記憶したくても、したくなくても、「記憶」として強く深く刻印される。
それは自分の過去を振り返ると、よくわかる。
下の世代は、過去の自分そのものであり、
思いを馳せるのは今の自分であり、その重なりが未来の自分。
こうして、過去の時間を重ねながら、未来は形作られていく。
ちょっと感動の涙…
いなばさんのおっしゃるとうり、医者だけではなく、若いみんなはそれぞれ一生懸命生きているのですよね。(きっと大人も)
私たちは、子どもや若者がそんな純粋な心を持てるような日本にしてゆかなければなりませんね。
【漫画のように星がキラキラした目】って本当にすてきですね。
そして、大人になってもその気持ちのかけらだけであっても(外見は老けるけど・笑)持ち続けたいものです。
歳や境遇を超えてみんなが人間らしく『生きている喜びを感じる』世になれるよう、私もやれるところからやってゆきたいと思っています。
それは決して甘やかすという意味ではなく、眼差しとして。
いい先輩に巡り会える新人は、幸せです。スタートってとても大切だから。
大人になっていくと、だんだんと区切りがあいまいになってきて、忙しくなると、年度の区切りなんてあってないようで(笑)。
いなばさんの話聞いてると、悪いお医者さんなんかいないんじゃないかって思ってくる。
…実際は、良心で動いてる個人の方が多いのかなー?それが組織化されシステム化されていく内に、何か人間性みたいなものが剥奪されていくのでしょうか?
組織<個 …でありつづけられるシステムってつくれないのだろうか?
「初心忘るべからず」って言葉がありますよね。
いい言葉ですよね。ほんとに。
そんな言葉を、若い人を見ていると感じます。
若い年下の人を見て、年長の年上の方々を見て、タイムマシンがなくても時間を移動できるような気が。
仕事って、慣れることはある面でいいんですけど、だらけて、なんだか適当になっちゃうときは危ないですよね。
ほどよい緊張と緩和が大事で。
>漫画のように星がキラキラした目
ほんとに見えたんですよねー。少女マンガのような星が(笑
そういう希望に溢れた感じを見ていて思うのは、
今の僕らの現状の目が、そういう目をしてるかなぁということですね。
目は口ほどにものを言う
っていいますし。
目つき見ていると、なんだかその人の心の状態まで見えてくるような。不思議なもんです。
>>>>>>>>SHINくん
自分の来た道、これから行く道、ってのはほんとそうだよね。
そこを否定するってことは、結局自分の過去と未来を否定するってことで。
現在が未来と過去のサンドイッチ状態だとすれば、黒と黒にはさまったオセロの白がひっくりかえるように、現在っていう白も黒にひっくりかえっちゃうような。
ボクも、いい先輩に巡り会って、いまだに心の師匠としてずっと忘れない人はいっぱいいるし、なるべく彼ら後輩にとって、いい記憶が残せるよう、がんばらないとなー。
>>>>Isくん
「新学期」って響き、いいよね!
友達百人でっきるかな。
みたいな感じで。
あ、僕はそんなに友達いないですけど。笑
終了式のときに引き出しを持って帰ったりね。
終了式のときだけ黒板を雑巾できれいにふいて、新学期で着たときも黒板がピカピカ。とかって好きな光景だった。
あ、かなり昔にずれてるかな笑
年度の区切りがないのは、ほんと危機感感じます。
特に正月がまずい!いつも病院で当直してて、
おとそ飲んだり、御節食べたり、家族団らん
みたいなのが、最近は恋しいなぁ。
僕は、甘いかもしれないけど、基本的に性善説をとるのよね。
個人って、一人ぼっちだとそこまで悪くなれないっていうか・・・。
個が集まって社会化されてシステムができると、
その辺からなんか裏返ってきて。
村上春樹さんのエルサレム受賞スピーチの
高い壁と弱い卵(システムと個人の比ゆ)。
あれ以来ずっと考えてる。
システムってなんなんだろう?って。
いつか本人と話したいなぁ。
ねっ?isくんもshinくんも!そうでしょ!?笑
http://www.47news.jp/47topics/e/93925.php
でも、その前に、過去の様々な人びとや村上さんが後進に投げかけているメッセージを丁寧に読みとりたいですね。
人間なんて自分1人が一生で考え出せるものごとが知れてるなら、過去の先輩たちからの積み上げを丁寧に拾いながらその上で考えて、長いつながりの中で、気づきを積み上げたい。
この場をお借りして。
僕も春樹さんが出したメッセージ、再度点検する必要感じます。
『若い読者への短編小説…』とか、『少年カフカ』の応答とか、柴田さんとの翻訳本とか、あらためて過去の作品も読み返したい気もするし。
…にしてもあと2週間くらいで『1Q84』第3巻発売…楽しみなり!
そうね。僕も1年計画で村上全作品読破(翻訳含む)を計画中です。
全部読んで、いつか本人と話したい(笑)
ほんと、僕も自分の脳なんてたかが知れてるって痛感してるから、先人や偉人の脳味噌のおこぼれを少しもらいたいものです。個人だと、それは書物ってことになるわけで。
ただ、生きてる人には、会いたいよねぇー。
>>>Isくん
『1Q84』第3巻、僕もAmazonで予約しちゃった。
楽しみねぇ~。