探し物をしていたら思いがけず、古い雑誌がでてきたが、それは昭和
50年5月1日講談社発行の月刊「陸上競技」だった。
その頃からマラソンブームがはじまったようだが、夫がいつもあまり
にも肩こりがひどく、「走ると肩を動かすので、肩こりにも大変効果がある」
と聞いて、夫を誘って早朝に羽根木公園で走るようになった。
私は多分34歳で夫は37歳だと思う。
しばらく二人で走っていたら「これからクラブを作るから入らないか」
と誘われたのが、これから発足すると言う「世田谷ジョギングクラブ」
だった。現在と違ってその頃は、比較的若い世代が多かったが、私達も
参加して発会式をしたが、確か会員は20名前後だった。
だんだん会員が増えて、皇居マラソンに参加したことがあり、私も
一緒に走ったが、今でも警視庁の参加証はどこかにあるはずだ。
多分発会してから一年後位に、この雑誌で取材されたのがこの写真だ。
全員で走っているところ、体操しているところ、また私達夫婦も雑誌に
掲載された懐かしい写真だ。あれから40年近く、この写真に写って
いる方はほとんど亡くなられたが、今現在はクラブとしては活動していない
ようだ。月日の流れはあまりにも早い。
50年5月1日講談社発行の月刊「陸上競技」だった。
その頃からマラソンブームがはじまったようだが、夫がいつもあまり
にも肩こりがひどく、「走ると肩を動かすので、肩こりにも大変効果がある」
と聞いて、夫を誘って早朝に羽根木公園で走るようになった。
私は多分34歳で夫は37歳だと思う。
しばらく二人で走っていたら「これからクラブを作るから入らないか」
と誘われたのが、これから発足すると言う「世田谷ジョギングクラブ」
だった。現在と違ってその頃は、比較的若い世代が多かったが、私達も
参加して発会式をしたが、確か会員は20名前後だった。
だんだん会員が増えて、皇居マラソンに参加したことがあり、私も
一緒に走ったが、今でも警視庁の参加証はどこかにあるはずだ。
多分発会してから一年後位に、この雑誌で取材されたのがこの写真だ。
全員で走っているところ、体操しているところ、また私達夫婦も雑誌に
掲載された懐かしい写真だ。あれから40年近く、この写真に写って
いる方はほとんど亡くなられたが、今現在はクラブとしては活動していない
ようだ。月日の流れはあまりにも早い。
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