毎週月曜日から金曜日の毎日放送されるテレビ番組
ぴあのピア。
先週はずっとハイドンでした。
フランツ・ヨーゼフ・ハイドン (1732~1809)
ハイドンは、とても穏やかな性格だったとか。
人付き合いも、仕事の進め方も。。
確かに、どのお顔を拝見しても、
穏やかさが表情に出ているのがわかりますね。
交響曲は100曲以上、
そして鍵盤楽器のためにも50曲以上、作曲しました。
それ故、ハイドンは「交響曲の父」と呼ばれています。
ハイドンの時代は、鍵盤楽器が
チェンバロからフォルテピアノに移りつつある頃で、
ハイドンの作品も、どちらの楽器で演奏しても良いように
書かれたものがたくさんあります。
「ピアノ・ソナタ 第35番 ハ長調」には、
ハイドンのピアノ曲として初めて、
音の強弱を指定する記号が書き込まれています。
「f」と「p」です。
また、「ピアノ・ソナタ」というスタイルを
確立させていったのでした。
ウィーンでは、1780年頃から
フォルテピアノが流行の兆しを見せていたようです。
そして1788年に、ハイドンも、
自分のピアノ(スクエアピアノ)を手に入れました。
このスクエアピアノ。
その名のとおり、四角形(長方形)です。
一見オルガンのようにも見えます。
鍵盤の色はチェンバロと同じで、下が黒鍵、上が白鍵。
鍵盤の数は、多分58鍵。
4オクターブの両端に5鍵ずつある形です。
このスクエアピアノを手に入れた後、
ハイドンの作品には、より多くの音楽記号が
取り入れられるようになりました。
1790年。
ハイドンが30年仕えたエステルハージ侯爵が亡くなり、
ハイドンの楽団も解散。
その後、新たなお仕事でロンドンへ行ったハイドン。
1791年、ロンドンは現在のソーホーで、
ハイドンは新しいピアノに出会いました。
ブロード・ウッドという職人さん製作のピアノです。
68鍵で、鍵盤の色も現在のピアノと同じです。
当時のイングリッシュのピアノというのは、
響きが長く、重厚で、シンフォニックだとか。
その頃のイギリスは産業革命の後で、
すべてがエネルギッシュな時代だったのでしょうか。
そしてイギリス滞在中のハイドンに、訃報が届きます。
親友モーツァルトが亡くなったのです。
ハイドンよりも24歳も若いモーツァルトが、
先に神に召されてしまうなんて。。
1795年にウィーンへ戻り、1808年に引退。
1809年5月にナポレオン軍ウィーン侵攻で、
ハイドンの邸宅も攻撃にさらされました。
ハイドンは、家人を励ますために、こう言ったそうです。
「恐れるな。ハイドンのいる所に不幸は起こり得ないのだ」と。
ナポレオン軍ウィーン侵攻から半年後、ハイドン永眠。
…
今まであまり馴染みのなかったハイドンについて
知ることができ、とてもよかったです。
グッと親しみがわきました♪
また、チェンバロからフォルテピアノへの移行の様子も、
大ざっぱに知ることができて、とても嬉しいです♪
<放送時間>
☆NHK BShi
♪ 月曜~金曜 AM7:35~7:45
(再)月曜~金曜 PM9:50~10:00
(再)日曜(1週間分まとめて) AM6:00~6:50
☆NHK BS2
♪ 月曜~金曜 PM6:45~6:50 (再)
ぴあのピア。
先週はずっとハイドンでした。
フランツ・ヨーゼフ・ハイドン (1732~1809)
ハイドンは、とても穏やかな性格だったとか。
人付き合いも、仕事の進め方も。。
確かに、どのお顔を拝見しても、
穏やかさが表情に出ているのがわかりますね。
交響曲は100曲以上、
そして鍵盤楽器のためにも50曲以上、作曲しました。
それ故、ハイドンは「交響曲の父」と呼ばれています。
ハイドンの時代は、鍵盤楽器が
チェンバロからフォルテピアノに移りつつある頃で、
ハイドンの作品も、どちらの楽器で演奏しても良いように
書かれたものがたくさんあります。
「ピアノ・ソナタ 第35番 ハ長調」には、
ハイドンのピアノ曲として初めて、
音の強弱を指定する記号が書き込まれています。
「f」と「p」です。
また、「ピアノ・ソナタ」というスタイルを
確立させていったのでした。
ウィーンでは、1780年頃から
フォルテピアノが流行の兆しを見せていたようです。
そして1788年に、ハイドンも、
自分のピアノ(スクエアピアノ)を手に入れました。
このスクエアピアノ。
その名のとおり、四角形(長方形)です。
一見オルガンのようにも見えます。
鍵盤の色はチェンバロと同じで、下が黒鍵、上が白鍵。
鍵盤の数は、多分58鍵。
4オクターブの両端に5鍵ずつある形です。
このスクエアピアノを手に入れた後、
ハイドンの作品には、より多くの音楽記号が
取り入れられるようになりました。
1790年。
ハイドンが30年仕えたエステルハージ侯爵が亡くなり、
ハイドンの楽団も解散。
その後、新たなお仕事でロンドンへ行ったハイドン。
1791年、ロンドンは現在のソーホーで、
ハイドンは新しいピアノに出会いました。
ブロード・ウッドという職人さん製作のピアノです。
68鍵で、鍵盤の色も現在のピアノと同じです。
当時のイングリッシュのピアノというのは、
響きが長く、重厚で、シンフォニックだとか。
その頃のイギリスは産業革命の後で、
すべてがエネルギッシュな時代だったのでしょうか。
そしてイギリス滞在中のハイドンに、訃報が届きます。
親友モーツァルトが亡くなったのです。
ハイドンよりも24歳も若いモーツァルトが、
先に神に召されてしまうなんて。。
1795年にウィーンへ戻り、1808年に引退。
1809年5月にナポレオン軍ウィーン侵攻で、
ハイドンの邸宅も攻撃にさらされました。
ハイドンは、家人を励ますために、こう言ったそうです。
「恐れるな。ハイドンのいる所に不幸は起こり得ないのだ」と。
ナポレオン軍ウィーン侵攻から半年後、ハイドン永眠。
…
今まであまり馴染みのなかったハイドンについて
知ることができ、とてもよかったです。
グッと親しみがわきました♪
また、チェンバロからフォルテピアノへの移行の様子も、
大ざっぱに知ることができて、とても嬉しいです♪
<放送時間>
☆NHK BShi
♪ 月曜~金曜 AM7:35~7:45
(再)月曜~金曜 PM9:50~10:00
(再)日曜(1週間分まとめて) AM6:00~6:50
☆NHK BS2
♪ 月曜~金曜 PM6:45~6:50 (再)