地元散策したり、1泊で伊東の母宅へ行ったりで、数日PCから離れてました。
前回の続きです。
皇居外苑や桜田門近辺を歩きまわった後、
警視庁の真ん前(真横!?)にある日比谷公園へ入りました。
そういえば日比谷公園は、江戸時代は大名の屋敷があった場所で、江戸城の遺構がわずかにあったな~と思い出したので(そんな理由^^;)
でも、しばし遺構のことは忘れ新緑に癒やされ涼みながら、のんびり歩きました。
日比谷公園は、日本人のための都市公園として
日本人の設計者によりつくられた日本初の洋式公園だそうです。
新緑の向こう、クラシックで風格のある建物は、、、
松本楼です。入ったのはもう20年くらい前ですが、カレーが美味しかった。
森の中に鎮座するこの建物は、大変な歴史があります。
・1903年に銀座から移転してオープンし、
・日比谷焼打事件など、度々政治活動の舞台となり、
・1923年、関東大震災により消失、
・東京に空襲が始まると海軍省の将校宿舎となり、
・終戦後にはGHQ宿舎として接収され、約7年に渡り営業できない日々が続き、
・1971年11月、沖縄返還協定反対デモが日比谷公園内で激化、2代目建物も焼失の憂き目にあう。
(Wikipediaより抜粋)
ということは建物は3代目なんですね~しかも今年で110年!!
これぞまさに歴史あるお店ですね。
創業当時から松本楼を見守ってきたという、大木「首かけイチョウ」。樹齢400年くらいだそう。
日比谷交差点で切られかかっていたところを、移植は無理だという反対の声に対し、東大農学部教授・本田静六博士が「首にかけても移植してみせる」と語ったことから「首掛けのイチョウ」と呼ばれているんだって。
開園当初からある鋳鉄製の水飲み場。今はもちろん使えません。
有楽門から
そして有楽門を入ったところにある「日比谷見附跡」コレですよ、江戸の名残り。
江戸城外殻城門のひとつ、日比谷御門の一部。
江戸城にはかつて36ヶ所の城門があり、警備・見張りの施設(見附)が置かれていました。
都内にはほかに、市ヶ谷見附・四谷見附・赤坂見附など地名として残っています。
日比谷見附は野面積み(のづらづみ)の石垣で、江戸時代初期の築造なんだって。
城の外側から順に、高麗門・枡形・渡櫓・番所が石垣で囲まれていましたが、石垣の一部だけがここに残ってるのだそう。
日比谷公園がかつて江戸城外郭の一部であったことを、感じられる場所なのです。
石垣の上は歩けるようになっています。(ベンチも有り)
当時、石垣の西側は濠となっていましたが、公園造成時に面影を偲び心字池とした、と書いてありました。
今年に入って城門や石垣に興味を感じるようになり、今まで何気なく歩いていた日比谷公園を、全然違った視点で見ることができました。
おまけ画像☆
日比谷公園から東京駅へ歩いて戻る途中、東京駅丸の内南口に新しく出来た「KITTE」を通り抜けました。
エスカレーターに大行列で、なかなか上へ行けないようでしたよ
私達はほかに目的があったので素通り^^;
そうそう日比谷公園ではこの日、なにかのイベントをやっていて、ステージにあのエアバンドのボーカルの方が来ていました。
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洋風の公園ね!きっと当時には
すごく新鮮だったのだろうね
そして見事な銀杏の木
じぃと見入ってしまいました
これからもその姿に感動する人が
後を絶たないだろうね^^
そうだよね、すべてが新鮮だったと思う!
造成に関わった人たちの、大変な苦労があったことと推察します。
イチョウの木、上まで写せたらいいんだけどこれが限界でした~
移植した博士の思いと共に、後世に残してほしいよね^-^