さっぽろ東急百貨店の南向かいにある、今は居酒屋とカラオケボックスの入る、このビル
エナビル
(札幌市中央区北3条西2丁目8-3)
このビルは以前は、園芸店でした。
その看板の痕跡がうっすらと残っています。
札幌興農園 (さっぽろこうのうえん)
札幌興農園は、島根出身で札幌農学校の卒業生である小川二郎が明治27(1894)年に南2条西1丁目に
開業したのが始まりで、明治39(1906)年に北4条西3丁目にレンガ造りの店舗を作り「五番館興農園」
と名付けました。
五番館と言う名前に、懐かしさを感じる方もいるのではないでしょうか?2009年に閉店した札幌西武
の前身です。
「五番館興農園」では種苗の他に用品雑貨などの販売を行いましたが、不況の影響もあり、明治42(1909年)
三井物産札幌支店長の小田良治に店舗を譲渡し、小川氏は興農園の経営(種苗販売)に専念する事としました。
明治40(1907)年に当時は大通逍遙地と呼ばれていた、現在の大通公園の2丁目から4丁目にかけて自費で耕し
芝生を造成し花の苗を植えて花壇を造成しています。大通公園の花壇の歴史はここから始まったと言われています。
このビルに移転するまでは、駅前通りにお店があったそうです。
私も、小さい頃に園芸好きな母に連れられてこのビルを何度となく訪れました。
花の苗や種、園芸用品、農機具も豊富に取り揃えられていました。
札幌一の園芸屋さんでした。
札幌興農園として営業していた当時の写真を掲載するブログ
親会社の「五番館」は昭和57(1982)年に西武百貨店(セゾングループ)と業務提携。昭和63(1988)年に
社名が「西武北海道」となりました。平成2(1990)年に全面改装した際に「五番館西武」に店名を変更。
1997(平成9)年には西武百貨店本体に吸収合併されて店名も「札幌西武」に変更されました。
大丸札幌店が開店し、道内の百貨店勢力図が大きく塗り替えられ、2009(平成21)9月30日に札幌西武は閉店。
「札幌興農園」は平成元(1989)年に西武北海道が70%出資したことに伴って、セゾングループ入りしました。
札幌では園芸愛好家の間では抜群の知名度でしたが、減反などの農業情勢の変化や、バブル崩壊後のゴルフ場建設、
造園事業の低迷、園芸用品販売においても、全国大手メーカーや卸やホームセンターなどとの価格競争の激化が起き
財務面で厳しい状態が続いたことにより、平成9(1997)年6月1日に札幌ヰセキ販売(株)(現在の(株)ヰセキ北海道)
に営業権を譲渡されました。(札幌ヰセキ販売は平成14年にヰセキ北海道に合併)
園芸部・緑化事業部・農機部(当別営業所)は札幌ヰセキ販売・長沼と滝川の農機具販売の営業所はヰセキ北海道
(当時の本社・岩見沢)に譲渡されました。
札幌興農園の本社ビル(当ビル)は継承されず、後に売却されます。
江別市文京台43-19にあった江別卸センターは「札幌興農園ガーデンセンター」として札幌ヰセキ販売が継承しまし
たが、後に閉店しました(時期不明)。
法人登記簿を取得したところ、平成14年11月1日に「株式会社札幌興農園」という会社が江別市文京台43-19を本店
として設立され(ガーデンセンターと同一住所・現在はコニサーオイル ビックセルフ森林公園)。平成17年12月に札幌市北区屯田町に本店
が移転し、そして平成30年12月12日に会社法 第472条第1項の規定により休眠会社のみなし解散をされています。
(最後の登記から12年が経過している株式会社は、休眠会社の整理として法務局の職権により解散させられたことを意味します)
エナビル
(札幌市中央区北3条西2丁目8-3)
このビルは以前は、園芸店でした。
その看板の痕跡がうっすらと残っています。
札幌興農園 (さっぽろこうのうえん)
札幌興農園は、島根出身で札幌農学校の卒業生である小川二郎が明治27(1894)年に南2条西1丁目に
開業したのが始まりで、明治39(1906)年に北4条西3丁目にレンガ造りの店舗を作り「五番館興農園」
と名付けました。
五番館と言う名前に、懐かしさを感じる方もいるのではないでしょうか?2009年に閉店した札幌西武
の前身です。
「五番館興農園」では種苗の他に用品雑貨などの販売を行いましたが、不況の影響もあり、明治42(1909年)
三井物産札幌支店長の小田良治に店舗を譲渡し、小川氏は興農園の経営(種苗販売)に専念する事としました。
明治40(1907)年に当時は大通逍遙地と呼ばれていた、現在の大通公園の2丁目から4丁目にかけて自費で耕し
芝生を造成し花の苗を植えて花壇を造成しています。大通公園の花壇の歴史はここから始まったと言われています。
このビルに移転するまでは、駅前通りにお店があったそうです。
私も、小さい頃に園芸好きな母に連れられてこのビルを何度となく訪れました。
花の苗や種、園芸用品、農機具も豊富に取り揃えられていました。
札幌一の園芸屋さんでした。
札幌興農園として営業していた当時の写真を掲載するブログ
親会社の「五番館」は昭和57(1982)年に西武百貨店(セゾングループ)と業務提携。昭和63(1988)年に
社名が「西武北海道」となりました。平成2(1990)年に全面改装した際に「五番館西武」に店名を変更。
1997(平成9)年には西武百貨店本体に吸収合併されて店名も「札幌西武」に変更されました。
大丸札幌店が開店し、道内の百貨店勢力図が大きく塗り替えられ、2009(平成21)9月30日に札幌西武は閉店。
「札幌興農園」は平成元(1989)年に西武北海道が70%出資したことに伴って、セゾングループ入りしました。
札幌では園芸愛好家の間では抜群の知名度でしたが、減反などの農業情勢の変化や、バブル崩壊後のゴルフ場建設、
造園事業の低迷、園芸用品販売においても、全国大手メーカーや卸やホームセンターなどとの価格競争の激化が起き
財務面で厳しい状態が続いたことにより、平成9(1997)年6月1日に札幌ヰセキ販売(株)(現在の(株)ヰセキ北海道)
に営業権を譲渡されました。(札幌ヰセキ販売は平成14年にヰセキ北海道に合併)
園芸部・緑化事業部・農機部(当別営業所)は札幌ヰセキ販売・長沼と滝川の農機具販売の営業所はヰセキ北海道
(当時の本社・岩見沢)に譲渡されました。
札幌興農園の本社ビル(当ビル)は継承されず、後に売却されます。
江別市文京台43-19にあった江別卸センターは「札幌興農園ガーデンセンター」として札幌ヰセキ販売が継承しまし
たが、後に閉店しました(時期不明)。
法人登記簿を取得したところ、平成14年11月1日に「株式会社札幌興農園」という会社が江別市文京台43-19を本店
として設立され(ガーデンセンターと同一住所・現在はコニサーオイル ビックセルフ森林公園)。平成17年12月に札幌市北区屯田町に本店
が移転し、そして平成30年12月12日に会社法 第472条第1項の規定により休眠会社のみなし解散をされています。
(最後の登記から12年が経過している株式会社は、休眠会社の整理として法務局の職権により解散させられたことを意味します)
「株式会社札幌興農園コアシステム」という上記の札幌興農園の取締役数人や監査役が同一人物の法人が、札幌市
北区屯田町を本店として、平成15年5月28日に設立されており、平成24年に石狩市生振に本店を移転しています。
こちらは現在も法人として存続しています。
本店(当ビルのお店)が閉店してしまい、江別市文京台にあった園芸センターに母に連れて行ってほしいと
言われて車で行った覚えがあります。(文京台のガーデンセンターもいつの間にか閉店し、雪印園芸センターが多くなった)
最上階にある温室部分は、つい最近までダーツバーとして営業していたようです。
こんなものが残っていました。
商号 札幌興農園
営業所 東京都中央区(東京市京橋区尾張町新地7番地) 現・中央区銀座5丁目
商号使用者の氏名及び住所 東京市麴町五番町12番地 小田良治 現・千代田区一番町12 いきいきプラザ一番町
営業の種類 農産種子、種苗、農産物及農具ノ販売
との商業登記です。
法人格としては消えても、今でも市民の心の中に残るお店です。
ちなみに、この記事を作るのに登記情報提供サービスで取得した登記情報取得の利用料金
3340円…力作です!
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