道庁正門前にあった、札幌葎花園(ホップえん)
前回の記事の通り、明治15(1882)年2月に開拓使が廃止されホップ園は農商務省農業事務所に移管されま
した。明治18年に札幌育種場と合併され、明治19(1886)年に札幌ホップ園は廃止されます。
開拓使に勤務していた菊亭脩季(きくていゆきすえ)は農商務省に移り、札幌農業事務所副長となって
いましたが、明治19年に退職し札幌郡上白石村(現・札幌市白石区菊水元町1条1丁目付近)の桑園約5町歩
(約4万9,600㎡)を3年間の条件で無償貸与され、明治20年春に道庁の所管となっていた旧札幌ホップ園の
ホップ苗を移植しました。
(現在の白石区菊水元町1条1丁目付近)
麦酒醸造所は明治19年に大倉組商会が払い下げを受け、明治20年に大倉財閥・渋沢財閥・浅野財閥らが
札幌麦酒株式会社を設立。ドイツ人醸造技師マックス・ポールマンが製造責任者に就きました。
しかしこのポールマンは国産ホップは品質上問題ありとして使用を拒否します。菊亭のホップ園は経営が
立ち行かなくなり明治22(1889)年には栽培を断念してしまいます。
アセンチルが野生のホップを発見し、原料の自給を目指して設立された麦酒醸造所ですが、明治27年に
ポールマンが帰国し、ビール製造量が急増する中で、札幌麦酒は再びホップ自給の道を選びます。
明治30年頃にヨーロッパから苗の輸入を試みますが、輸送途中に洋上で枯死して失敗に終わります。
つづく
追記
札幌市白石区の菊水(きくすい)という地名の由来ですが、菊亭脩季の「菊」と豊平川の「水」に因み
昭和29(1954)年に地名が菊水に改称されました。
菊水いちい幼稚園の敷地に 菊亭脩季入植地跡 という看板がありました。
菊亭脩季が植えたとされる、黒松が現在も立派な姿を保っています。
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