一度途絶えてしまった国産ホップですが、ポールマンの後任として醸造責任者に就任したのが金井嘉五郎でした。
国産の素材で国産のビールを作るという会社の信念の実現を目指します。
金井の元で醸造技師として修業をしていた矢木久太郎は札幌麦酒として、初のヨーロッパ留学を果たします。
明治31(1898)年にドイツに留学中の矢木からミュンヘンの種子商から購入したホップの種子が一袋送られてきます。
同じく技師の藤田昌らがこの種を工場の周辺に播種し、肥培管理を続けたところ、多くの一代雑種の中に優秀なものが
あることがわかりました。
明治25年に建てられたレンガ造りの札幌麦酒の工場跡(現・サッポロファクトリー)
(札幌市中央区北2条東4丁目)
優秀な苗を選りすぐり、明治37(1904)年に札幌区北6条東3丁目に1500株のホップ園を設けました。
(現在の札幌市東区北6条東3丁目の様子・タワーマンションと病院を建設中でした)
同年秋に苗穂村第3御料地(現・札幌市東区北8条東9丁目付近)に移して、苗穂ホップ園としました。
苗穂ホップ園の跡には、ホップ公園という名前の公園があります。
ホップは植えられていませんが、サッポロビール園のすぐ近くです。
サッポロビール園 (サッポロビール博物館)
(札幌市東区7条東9丁目1-1)
明治23年に札幌製糖(株)の工場として建てられたものを明治36年に買収。
明治38年から札幌第2精麦所として稼働。昭和41年まで精麦工場(麦芽を作る工場)
として使用され、昭和41年7月1日よりビール園として開業しました。
ビール園の脇にホップが植えられていました。
アサ科のつる性の多年生植物だそうです。
明治39(1906)年に、札幌麦酒、日本麦酒、大阪麦酒が合併し大日本麦酒株式会社が
設立されます。
明治41(1908)年に、苗穂から別な場所にホップ園は移転します。
説明文が次回以降の記事のネタバレになりますが…。
つづく
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