「広島の熊野神社」

2011-11-12 01:45:16 | 赤裸の心

                   「広島の熊野神社」


 私の母は広島県の山間部、あのヒバゴンで一躍名を馳せた(旧)比

婆群西城町(今は庄原市西城町)の出身です。大阪で和歌山出身の

父と巡り合って所帯を持ち私が生まれました。子どもの頃、よく夏

休みになると母に連れられて彼女の実家へ行きました。当時はまだ

藁ぶき屋根で土間には牛小屋のある大きな民家でした。始めのうち

はその寂しさに堪えられませんでしたが、終いには川遊びをしたり

蝉取りをして山道や畔を走り回りました。その時に母が話したこと

で気になっていることがあります。

 それは、比婆山には古くから熊野神社という伊邪那美命(イザナ

ギノミコト)を祀る神社があります。古事記によると「かれその神

避りし伊邪那美の神は、出雲の国と伯伎の国(伯耆の国)の堺、比

婆の山に葬りき」とあり、比婆山は伊邪那美命の御陵と記されて

いる。ただ「現在イザナミの神陵地は本居宣長の『古事記伝』の

記述から出雲と伯耆の境に近い島根県安来市の比婆山であると推

定される」(ウィキペディア「比婆山」)とあるように同じ名前の

山が隣県にもあってそっちが御陵だと言われている。もっとも、熊

野神社と称する神社でさえ勧請されて全国に三千社近くもあるとい

うのだから何れが本家かなど探るつもりなどない。

 伊邪那美(イザナミ)命は伊邪那岐(イザナギ)命と結婚して大八島

を産んだ神で、「古事記」にはその様子が記されています。

 現代語訳ですが、

伊邪那岐 「あなたの体はどのようにできていますか」

伊邪那美 「私の体には、成長して、成長していないところ(女陰

     のことを示す)が1ヶ所あります」

伊邪那岐 「私の体には、成長して、成長し過ぎたところ(男根の

     ことを示す)が1ヶ所あります。そこで、この私の成長

     し過ぎたところで、あなたの成長していないところを刺

     して塞いで、国土を生みたいと思います。生むのはどう

     ですか」
                (ウィキペディア「国産み」)

こうして次々と国を産みその後神々を産んだが、最後に火の神を産

んだ時に火傷をして死ぬ。「イザナミの墓所の伝承地は、日本神話

に記される比婆山や熊野市有馬のほか、雲伯国境を中心として日本

各地にある」(ウィキペディア「イザナミ」)というように日本書紀

では紀伊国の有馬村(現・三重県熊野市有馬町の花窟神社)に葬ら

れていることになっています。比婆山の熊野神社の社伝によると

「創建不詳、和銅六年(七一三年)までは比婆大神社と称し、嘉祥

元年(八四八年)社号を熊野神社と改称す」とあるように随分古く

からあり、広大な神域には百株を越える巨杉郡叢が聳え立ち、森厳

な古社の風致を構成し、内十一本の老杉は広島県天然記念物に指定

(昭和27年)されている。古くから比婆山を伊邪那美命が葬られた

神陵として崇め、命(みこと)山と称し「美古登山」と表した。私の

母が生まれた里はかつては美古登村と呼ばれ、度重なる町村合併に

よってその地名は無くなってしまったがただ今も美古登小学校は存在

する。

 さて、母の話によると、何時の頃か知らないが、その熊野神社が

困窮を極めた時に、南紀に在る世界遺産にも登録され「蟻の熊野詣」

で知られた熊野大社に宝物や書物を売り払い、その名前までも譲っ

たと言うのだ。所謂「勧請」のようなことなのかもしれないが、確

かにそう言った。それから、しばらくそんなことは忘れていたが、

去年の今頃、その地で暮らす人に偶然出会って偶々その話を思い出

して問うと、その人は、「ほんとのことよ、じゃけえ神社にゃ何も

残っとらんのよ」と言い、そのことは比婆山で暮らす人々にとって

は周知の事実として伝えられているのかもしれない。ただ、何も残

ってないから譲った証拠というのは無理があって情けなくもあるが、

それでも、何と!その熊野神社には「那智の滝」まである。

 http://www.mikumano.net/zhirosima/hiba1.html 


 

にほんブログ村 小説ブログ 純文学小説へ
にほんブログ村