「目覚める獅子 中国」(2)

2019-11-21 13:45:52 | 「目覚めた獅子 中国」

          「目覚める獅子 中国」


             (2)


 それでは、アメリカと中国の社会の大きな違いは何かと言えば、

「自由と民主主義」と「儒教思想」の社会思想の違いである。儒教

思想とは厳格なヒエラルキー(身分制度)を重んじる差別思想であり

、そもそも人は生れ堕ちた時から身分差別が始まる。ところが、「

自由と民主主義」は、日本国憲法第14条の「すべて国民は、法の

下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により

、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。」とあ

るように平等思想の上に築かれる。つまりアメリカと中国の違いと

は建前上だが平等社会と差別社会の違いである。では、同じ地上に

在りながらその思想の違いはどこから生れるのか?

 そもそもアメリカは西欧キリスト教社会からの移民たちによって

建国された。かのマルクスは「宗教とはアヘンである」と言ったが

、宗教とは生きることに迷った人々が神の存在を信じて、その教え

に従って生きることで救われる信仰で、キリストは迷える人々に神

の救いを説き人々を信仰へ導く神の子である。信仰は、信者がその

存在さえも不確かな神をひたすら信じることによって、全能の神の

御心を「忖度」して、神の立場から社会の有り方を見詰め直して、

とは言っても思惟そのものは人間の想像でしかないが、社会の有り

方を見詰め直して、利害を超えた理想的な社会を考えようとする。

「平等」とは絶対的な神の存在がなければ生れなかった観念で、

仏教は同じように「平等」を説いたが、相対的な身分道徳を説く儒

教思想は2次元的な世界に終始した。そもそも中国には仏教が伝来

して広く信仰されていたのだが、封建社会の権力者にとって身分道

徳を説く儒教の教えは封建秩序を管理するのに都合がよかったので

官学として認められたが、その反対に形而上にこだわった仏教は廃

れた。つまり、アメリカと中国における平等社会と差別社会の違い

は、人間社会を外からの神の視点から俯瞰するか、それとも内の権

力者の視点から見るかの違いである。では、その視点の違いは社会

にどんな違いを生むのだろうか?神とは絶対的な存在なのでその視

点は揺るがないが、しかし権力者は限られた存在でしかないので、

権力者が代わる度に視点が変わり社会の有り方が変わる。「神は死

なない」が、権力者はいずれ死ぬ。つまり、神の視点からの社会の

位置づけは不変だが、それはつまりは神の御心を忖度した国民の願

望にほかならないが、一方、権力者が支配する社会は権力者が代わ

る毎に社会秩序の基軸がぶれて一貫した社会理念が築けない。実際、

儒教国家である中国や韓国は政権が代わる度に前政権の功績を覆し

て、そして権力を失った前権力者は非道い扱いを受け時には罪人と

して裁かれる。

 

                          (つづく)