「目覚めた獅子 中国」
(5)
ニーチェを敬愛する私は、もちろん実存主義者で無神論者ですが
、ただ、「神」という絶対的な視点を借りて世界を俯瞰することは
とても意義深いことだと思います。「平等」という観念は立体的な
視点から眺めなければ認識できないからです。儒教思想は平面上の
相対的な関係においては箸の上げ下げに至るまで教義を説くが、た
だ「神」は存在しないので「理想《イデア》」については思惟する
ことがなかった。つまり、「平等」だとか「自由」だとかは「理想
」から生れるのであって、現実の社会道徳に執着する儒教道徳から
は決して生れない。そして何よりも大事なことは、キリスト教は社
会から疎外されて苦しんでいる人々に来世での神による救済を説い
て、神の世界(もう一つの世界)こそが真実の世界であると説いた。
現世で恵まれなくても、来世でその魂は永遠に祝福される。こうし
て信仰は信者たちに生き方の重大な選択を迫る。この世界か、或は
「もう一つの世界」か。この選択が信者たちの精神性を高めた。今
を耐え忍んでいつの日にかを誓うことは精神的な行為である。つま
り信仰は信者に精神をもたらした。宗教とは精神なしには一時も存
在し得ないのだ。いや、もっとはっきり言おう、
「宗教とは精神なのだ」
(つづく)