「うらこころ」
政府が推し進める「観光立国」は、観光客優先の他者依存を増
長させるのではないかと懸念する。今では観光客の絶えない古刹
も、かつてはこの世のものと思えぬその異様な建造物が、たとえ
ば清水寺であったり、それらは異様であるが故に信者たちの切実
な願いを受け止めてきた。つまりその異様さが人々の暮らしの中
で一体化していた。ところが、今では観光客が目当ての観光地は
、もはや日々のくらしよりも観光客優先で、その地に根を持たな
い観光客のために祖先が築き上げてきた生活文化を売り物にして
その一体化は損われようとしている。地元の者は慣れ親しんだ地
に殺到する観光客に違和感を覚える。やむを得ないとは思うが、
「生活のために」これまでの穏やかな日常が壊されていく。そも
そも「観光立国」とは日本人が得意にする細やかで行き届いた「
おもてなしのこころ」によって支えられる。そして「おもてなし
のこころ」とは相手の思いを「忖度」することから生れる。しか
し、「おもてなしのこころ」に隠された経済優先の「うらこころ」
は、その地に根付いた自立した生活文化を台無しにして、われわれ
から自立意識を失わせる。そして一方で「おもてなしのこころ」を
掲げる「観光立国」は、官吏たちによる政治家への依存から自立性
を欠いた「うらこころ」、つまり「忖度」政治をもたらした、と言
えばすこし穿ち過ぎだろうか。何れにしても、観光客が殺到する喧
騒の中で、「わび」「さび」を美として愛しむ日本の伝統文化が再
現されるとは思えない。