「二元論」
(6)
あまりにも枝葉末節にこだわり過ぎて根幹が見えなくなったの
で、ここでもう一度木田元による「ハイデガーの思想」をわかり
易く整理しますと、まず初期のハイデガーは〈現存在が存在を規
定する〉と考えていた。これはどういうことか言うと、たとえば
現存在を神と置き換えて〈神が存在を規定する〉と言えば多分す
んなり理解できると思いますが、そして、その神が「死んで」(ニ
ーチェ)、その代わりに現存在、つまり「人間」が世界を規定する
と考えていた。だから「世界は人間によって作り変えられる」。
であれば、人間はそもそもの〈本来性〉に立ち返って、世界を〈
存在=生成〉として捉え直して、人間中心の科学技術を見直すべ
きだと考えていた。ここでどうしても理解しづらいのは「人間の
本来性」という言葉だと思いますが、これはわれわれ近代人の生
き方が本来的ではないと言うのです。つまり、人間が生成として
の世界(自然)を「材料・資料」として扱い、人間が中心の固定化
した「非生成」社会に作り変えることは「世界=内=存在」とし
ての人間の「本来性」から逸脱しているのではないか。そこで、
たぶんハイデガーはそれまでの〈現存在が存在を規定する〉とい
う存在概念を改めて、〈存在が現存在を規定する〉のではないか
という転回(ケ―レ)を認識したに違いない。「世界=内=存在」
という考え方は〈存在が現存在を規定する〉という存在概念から
でなければもたらされない。
(つづく)