「二元論」 (6)

2021-03-25 05:40:32 | 「二元論」

          「二元論」


           (6)


 あまりにも枝葉末節にこだわり過ぎて根幹が見えなくなったの

で、ここでもう一度木田元による「ハイデガーの思想」をわかり

易く整理しますと、まず初期のハイデガーは〈現存在が存在を規

定する〉と考えていた。これはどういうことか言うと、たとえば

現存在を神と置き換えて〈神が存在を規定する〉と言えば多分す

んなり理解できると思いますが、そして、その神が「死んで」(ニ

ーチェ)、その代わりに現存在、つまり「人間」が世界を規定する

と考えていた。だから「世界は人間によって作り変えられる」。

であれば、人間はそもそもの〈本来性〉に立ち返って、世界を〈

存在=生成〉として捉え直して、人間中心の科学技術を見直すべ

きだと考えていた。ここでどうしても理解しづらいのは「人間の

本来性」という言葉だと思いますが、これはわれわれ近代人の生

き方が本来的ではないと言うのです。つまり、人間が生成として

の世界(自然)を「材料・資料」として扱い、人間が中心の固定化

した「非生成」社会に作り変えることは「世界=内=存在」とし

ての人間の「本来性」から逸脱しているのではないか。そこで、

たぶんハイデガーはそれまでの〈現存在が存在を規定する〉とい

う存在概念を改めて、〈存在が現存在を規定する〉のではないか

という転回(ケ―レ)を認識したに違いない。「世界=内=存在」

という考え方は〈存在が現存在を規定する〉という存在概念から

でなければもたらされない。

                       (つづく)