再掲載「何故貯水したのか?」

2020-10-24 11:50:06 | 従って、本来の「ブログ」

          再掲載「何故貯水したのか?」

 

 菅義偉政権は福島第1原子力発電所の処理水について、海洋放出

する方針だとみられているが、どうしても納得できないのは、仮に

それが何の問題も起こらないと言うなら、「では、何故貯水したの

か?」という疑問が残る。何の問題もなければ最初から海洋放出す

ればよかったのではないか?この単純な疑問に是非とも答えてもら

いたい。

 以下は2019年9月19日の私のブログの記事の再掲載です。

 

       *       *      *

 

       「何故貯水したのか?」  2019-09-19 12:22:54

 

 福島原発事故の関係者は「世界の、日本の、全ての原発からは処

理水海洋放出が当たり前のように行われており、何の問題も起こっ

ていない。」(原田義昭前環境大臣のブログ)と言うが、それでは

何故これまで処理水を放出せずに100万トンもタンクに貯めてい

たのかの説明をしなければならない。問題があるから放出しなかっ

たんじゃないのか?今になって、海洋放出しても何の問題も起こら

ないというなら貯水する必要はなかったことになるではないか。


「あほリズム」(767)

2020-10-21 01:28:09 | アフォリズム(箴言)ではありません

         「あほリズム」

 

           (767)

 

「生成そのもの――すなわち現実の全体――は、《いかなる価値をも

そなえていない》。」「というのは、存在者の全体の外には、この全

体にとって条件となりうるようなものは、もはやまったく存在してい

ないからである。」    ハイデガー著「ニーチェ」Ⅱ、354頁

       *      *      *

 価値とは相対的価値である。全体は相対化できない。たとえば、全

国民が等しく億万長者になれば、億万長者としての価値はなくなる。

 世界を外部から見れば、世界は存在することのいかなる《価値》も、

つまり生きることのいかなる《意味》もそなえていない。生きること

が《無意味》であるなら、自殺することは《理》には適っている。た

だ、命《生成》は《理》によってもたらされるわけではない。つまり、

「実存」は《理性》に先行するのだ。        


「あほリズム」(764)

2020-10-20 01:51:03 | アフォリズム(箴言)ではありません

          「あほリズム」

 

            (764)

 

 私が国家、つまり社会を頼るのはその方が合理的だからで、私にと

って国家とは手段にすぎない。たとえば、夜道を照らす明かりは手段

であるが、ところが、虫たちはその明かりに群がることが目的になる。

しかしいくら群がってもそれらは幻想にすぎない。国家幻想である。 

 

            (765)

 

私にとって、私の代わりは存在しないが、国家の代わりは存在し得る。

 

               (766)

 

国家という舟に身を預けても、舟が浮かぶニヒリズムという海からは

遁れられない。私は舟の有難さよりも、海の怖さが気になる。

 


「真理とは幻想である」(4)

2020-10-18 12:13:48 | 「ハイデガーへの回帰」

         「真理とは幻想である」

 

             (4)


 世界とは不断に変遷する生成であり、永遠不変の固定化した「真

理とは幻想である」とすれば、真理に基づく固定化した科学技術は

生成としての世界にそぐわない。その対立とは「生成 対 非生成」

であり、「非生成」とはもちろん、われわれの科学技術が作り出し

た、自然循環サイクルに還元できない「固定化」した人工の物質の

ことである。いまでは専ら「サスティナブル(sustainable)持続可能

な」という言葉を良く耳にするが、科学技術の拡散が生成としての

世界の持続可能性を狭めている事は言を俟たない。もしも、「真理

とは幻想である」とすれば、われわれは真理に基づく科学技術社会

の下で、「持続『不』可能な(unsustainable)」一時的でしかない

想の時代を生きていることになる。

                        (つづく)

 


「あほリズム」(763)

2020-10-17 10:18:36 | アフォリズム(箴言)ではありません

          「あほリズム」

 

           (763)

 

(何一つ政策を語らず相手の非難に終始する二人の米大統領候

補の記者会見を聴いて思ったこと)

 われわれはたぶん最高峰の山頂に立って居るのだ。つまり、

もはや征服すべき山頂はなく、後はただ虚しく下るだけなのだ。

「ああ、誰か新しい山を見つけてくれないか!」