この映画・本、よかったす-旅行記も!

最近上映されて良かった映画、以前見て心に残った映画、感銘をうけた本の自分流感想を。たまには旅行・山行記や愚痴も。

この一ヶ月は、悪夢というか《遣り所のない怒り》と哀しみの日々だった

2022-03-23 22:34:03 | 最近のこと
    【 2022年3月21~23日 記 】

 あっという間に1ヶ月が過ぎた。このブログ画面と対面するのも何ヶ月ぶりだろうか。

      〇           〇            〇

 横浜の弟から最初に、「母の具合が悪い」と連絡を受けたのは2月17日だった。さらに翌日、病院に行ったら即入院となったと知らされて、直ぐに帰省しなければならないと悟った。コロナ過で「面会謝絶」の状況だったが20日に医師との面談の機会を与えられた。その説明によると、脳梗塞は付随的なもので致命傷となるのは右股関節以下の血流の停止とそれに伴う腎機能の急速な悪化という。2,3日前から急に立てなくなったというのは股関節にできた血栓による下肢の血流低下によるのもで、触ると冷たく皮膚が黒ずんで見えたというのはそのための様だった。壊死が進んでいて重篤な状態だとの説明だった。通常なら面会できる状況ではないが、特別に集中治療室のベッド際に行くことを許され、声をかけたが反応はない。93歳という年齢を考えると積極的治療は望めないという。
 医師に言わせると「驚異的な生命力」で5日ほど小康状態を保っていた。病院からの連絡を待つだけで、実家で待つ日が続く。しびれを切らして25日に再度面会を求め病院に赴くと、今度も医師が面談してくれた。病室を覗かせてもらうと前回と違い微かではあるが意識が戻っていて、こちらの声かけがわかったようだった。「京都から来た」と伝えると、わずかにうなずいた。話をしたのはこれが最後だった。
 病院がすぐ近くであったことは幸いだった。歩いて5分の距離にある病院から戻り、実家の滞在も長くなったので一旦京都に戻ろうと準備をしていた26日の晩に病院から電話が入った。駆けつけた時はすでに息を引き取っていた。午後9時39分、医師が死亡の確認をする。

      〇           〇            〇

 ロシア軍がウクライナに侵入し攻撃を始めたのは2月24日で、母が入院してちょうど1週間経ったときだった。連日のニュースでロシアの大軍がウクライナの国境に集結している事が報じられ、連日のように「ウクライナに侵攻するのは今日か明日か」と伝えられる緊迫した毎日が続いていた。一方、病院からの電話がいつ入るのかも気がかりだった。そして、ロシアがついにウクライナ侵攻を開始した翌々日、病院から電話が入ったのだった。

      〇           〇            〇

 母の独居での生活を支えていたのは、近くに生活していた弟だ。最近は毎週のように実家に通い、食事を準備しビールも飲みながら会話をし、時には近所の老人仲間を交え歓談していた弟だ。父が亡くなってからもう8年がたつから、それ以来ずっとそんなことをしてもらっている。そればかりではない。暑いと言えばエアコンを設置し、寒いと言えばストーブを買ってきて設置したり、車で外に連れ歩いたり、小旅行に行ったりと、そんなことが何年も続いていただろうか。遠く離れた京都にいる私など、たまに帰省するくらいで、いざという時には何の役にも立たない。
 役所回りや関係機関を回りをしながら遺品を整理しているときだった。一通りの手続きを済ませ、最後の預金関係の整理をしようと思って荷物の片づけをすすめるが、入院の2日前に行ったという銀行の通帳が見当たらない。その他の預金通帳も見当たらない。通帳と印鑑があれば残高確認も、預金を引き出すこともたやすいのだがそれができない。仕方が無いので、最後の手段として金融機関に問い合わせてみようと思った時のことだった。戸籍謄本だの必要書霊をもって何度も窓口に通った挙句に言われたときのショックは忘れられない。
「あなたと亡くなった方とは赤の他人です。」との言葉が胸に突き刺さる。
「あなたの父親の連れ子です。」・・・なぜそんな言葉が出てくるのか驚きだった。
 私はともかく、50年近くも共に生活してきて、晩年は何かと世話をしてきた弟にしてみれば「どうして、そんな手続きが必要なのか理解できなかった」ことを通り越して、その不合理さに怒りさえ感じ、心臓をえぐられたような気持だったに違いない。
「養子縁組はしてますか?」
 その直前に訪れた年金事務所の係員にそう言われたときは、何のことだか理解できなかった。
「だから、その請求申請は受け付けられません。」
 同時に遺産の被相続人でもないことを知らされたのは、改めて民法の条文を確認してからだった。

      〇           〇            〇

 待たされたあげく、ようやく1週間後に火葬を済ませ、誰もいなくなる実家の荷物をできるだけ片付け、3週間ぶりに京都に戻ってからも、ロシアのウクライナへの爆撃はさらに続き、次元の違う2つの出来事が交錯し、哀しみと怒りが錯綜し、混乱した1ヶ月が過ぎてしまった。




コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 『ハマのドン-”最後の闘い”... | トップ | 気分転換に『箕面大滝と勝尾... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

最近のこと」カテゴリの最新記事