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『ヒーローを待っていても世界は変わらない』-「年越し派遣村」の湯浅誠が最近の心境を語る

2012-09-17 00:25:08 | 最近読んだ本・感想
 
      【ヒーローを待っても世の中は変わらない】 湯浅 誠 著 2012年8月30日 朝日新聞出版刊 

 湯浅誠がいままで「派遣村」等で関わってきたこと、断片的に述べられている彼自身の生い立ちのこと、政府との距離の持ち方など、全体としては共感あるいは同意できる内容なのだが、気になる点が2つほどある。

 『はじめに』に次の文章がある。

 『・・・通算二年間の内閣府参与としての経験が、私に民主主義について考えることを強いた。ただし、直接のひきがねを引いてくれたのは橋下徹・大阪市長である。感謝したい。
 と、ある。はじめこの文を読んだとき、本書のタイトルからしても、逆説的な(皮肉として)意味合いで言っているのかと思ったが、本の後半まで読み進むと、そうでもないように思えた。
 そして、今後の活動を橋下市長のいる大阪に移した、と言っているが、これは後で触れる。


 『いまは、政府の「やる気」や「意欲」の問題にするのは安直でみせかけの回答にすぎない、と感じています。』(P-16)

 『単純に言って、世の中の九割の人が反対していることを、いくら私たちが「やるべきだ」といっても、それが一割しかいなければ、一割の側につく政治家はほとんどいません。・・・「やるべきではない」というのが「民意」だからです。 それを「けしからん」「やらない政治が悪い」と言ったところで、一対九の構図を変えられなかったら、政治は九をとり続けます。・・・

 彼の関わってきた「ホームレス」や「貧困問題」で、湯浅自身が言っているように、それらの分野は、量としてもイメージにしても少数派(マイナー)であるという認識を持っている。上の発言は、そのような分野を意識してのものだから、一般論として当然といえる。

 しかし、いまの政治で問題なのは、『マイナー』な問題で《政治》がそっぽを向いて、少数の意見を取り上げないのなく『メジャー』な問題で多数派である「民意」を無視し逆のことを行っていることである。『原発再起動』、『消費税増税』、『オスプレー配備』の問題、みな『反対の声』が多数である。(『TPP』も、もはや反対派が多数ではないか

 上の文脈で『政府の「やる気」や「意欲」の問題にするのは安易』であるという言葉の意味するものは、その後の文章を読めば分かるように、『国民の税金を使い、公平な政治を行うべき政府』は条件が整っていない『少数派』の政策を進めるわけにはいかない。客観的条件がないのに政府に《やる気》を問題にして攻めるのはおかしい』ということである。

 しかし現実はそうだろうか。今の民主党政府が自民党同様『一部の大企業や、その政策を推進することによってその恩恵にあずかる人々の利益を代弁する立場』であり、そのことに関して野田現首相は 《盲目的に意欲的》であり、政治生命をかけてでも、党を分裂させてでも実行する《やる気》を持っている。

 『《野田首相は真面目そうで「やる気」を持って「意欲的」に法案成立をめざしているから》、野田首相を支持する』と考えている人がいたとしたら、《そう考えている人に対する批判》として言う言葉なら分かる。

 『《やる気や意欲的な姿勢》が問題なのではなく、彼の立ち位置が問題なのだ。』、と。


 『そのヒーロー(橋下市長を指している)が気に入らない人たちは、しばしば「マスコミが虚像をつくり上げるのだ。」とマスメディア批判に向かいますが、私は必ずしもそうは思いません』(P-28)、という言葉も気になる。
 その直後で、
 『現実は、やはり多くの人たちが支持していて、だからヒーローになり、選挙でも勝っているのです。・・・(中略)・・・乗っかる世論があって、視聴率が取れて初めて、マスメディアも重宝する。やはり世論の側に、「民意」の側に、ヒーロー待望論があるのだろうと思います。』(P-29~30)
 と、いっているが、この部分はその通りで異論はない。その後にさらに、『強いリーダーシップ』を持った《待望の人》が、
 『・・待ち望んでいる人たちに最終的に望ましい帰結をもたらすとは、どうしても思えないのです。』とまで言い切っている。私も同じ意見である。

 《なのに》である。第2章『「橋下現象」の読み方』での、『湯浅誠』の『橋下徹』に対するスタンスは全く不可解である。

 『私にとって重要なのは、政治不信の底流で起こっている質的変化です。そこに一番の危機感があります。そう考えるてくると、議会制民主主義や政党政治という政治システムそのものに対する政治不信が、反・東京のトップランナーである大阪で橋下さんを生み出したというのも、意味深いことのように思えてきます。
 ここまでは理解できるというか、考えを共有できる。しかし、その直前で語っているように、  『・・・最終的には私は橋下さん個人には興味はありません。』といって、個々の政策に関しては、全く語られず仕舞いである。

 『求めても裏切られる幻想のサイクルの果てに、政治不信が政治システムそれ自体を対象とするように質的に変化し、橋下徹さんという得難いヒーローを得て、いよいよ議会政治と政党政治そのものに手を付けつつある。』(P-75)
 と、期待とも思える言葉を並べている。そして、『おわりに』で「政治不信の質的変化を体現している橋下さんというヒーローのいる大阪で問題提起を行うことが適当と思われる。」といって、7月から、その大阪に活動の拠点を移したといっている。

 果たしてそうだろうか。ヒーローといっておきながら、『個人的には興味がありません』で済まされる問題だろうか。

 付録の『ウェブ掲載資料』を見ても、橋下市長や野田政権の具体的な政策については《ノーコメント》である。

 『居酒屋やブログで不満や批判をぶちまける人、デモや集会を行う人たちの中には、それが奏功しなかった場合の結果責任の自覚のない人』(P-183)と言って、こうした人を非難する手前、おいそれと批判や意見を言えないということだろうか。 

 多くの国民は、湯浅誠のような社会運動家でもないし、自身もこの本の中で書いているように、多くは《明日の生活に追われ》、個々の政策について吟味している余裕のない人間である。その人が自分の意見なり、自分の経験の範囲で政府の政策を批判することの何が無責任というのだろう。

 私自身も、橋下市長に関しては、個々の政策云々より、彼の政治に対する姿勢のほうが問題であると思っている。ただしその先は、湯浅さんとは逆に、《そこから民主主義の何かしのヒントを得る》というより、橋下市長の《独裁嗜好、政治手法を懸念する》。

 それでも、『教育は100%強制である』とか、『人権無視のアンケート調査』とか、『福祉切り捨て』とかの個々の政策、やっていることも無視できない。


 昨今の、『自民党総裁選』や『民主党代表選挙』を見ていると、本当にばかばかしくなる。《死んだはず》の元首相がゾンビのごとく動き出したり、他にも魑魅魍魎達がうごめいている。公約を堂々と破ったものを祭り上げたり、とっくに破綻している党を立て直すと言ってみたり。

 所詮、橋下徹も、小泉元首相と同類・同じ穴のムジナだ。


 《ヒーローを待っても世界は変わらない》が『ヒーロー面した独裁者きどりの政治家を独走』させても世の中は変わらない。
 




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