【2014年8月24日】 京都シネマ
インド映画というと、浅黒い肌に二重まぶたで目の下にクマのある、濃い顔の-自分らの基準ではどう見ても美男子とは言い難くなじめない-主人公が出てきて、例の歌とダンスのシーンが登場するというものだった、最近ちょっと違う。
今回の映画は、いままでの男優と違い、《許容範囲》だったので、映画を楽しむことができた。
それに比べて、女性の方は、確かに濃いが「こういうタイプの美人もいるのか」と納得できるが女優が今までもいたが、今回はそれにもまして“魅力的”だった。インドの人々の審美感覚がよくわからない。
さて、映画の中身の方だが、裕福な家庭の奥さんが、ニューヨークで暮らす姪の結婚式に出席するために、先にひとりで渡米し、大都会で数週間を過ご過ごすという設定である。
ほかの家族が、英語に堪能な中、この母親だけが英語が苦手で、街のいろいろな場面で恥ずかしい思いをする。
そこで一念発起、英会話学校に通う決意をする。
この映画の見せ場は、多くのコメントや宣伝のキャッチコピーで言われているような、「人生を前向きに」とか「ちょっとの勇気さえあれば新しい人生が開かれる」とかいう、【人生訓】じみたものではないとわたしは感じた。
ともに学び合う過程が楽しいというか、仲間の良さを感じる。
山田洋次監督の『学校』という映画があった。シリーズⅢまであったと思うが、第一作の『学校』を思い出す。『夜間中学』で学ぶ朝鮮人のお母さん“おもに”もいたし、田中邦衛演ずる“労務者”も、学校の規範から外れた“非行少女”もいる。 様々な“人種”が学ぶという大切さを実感する。その過程が面白い。
そんなことを、この映画を見てふと、思い出した。仲間との交流が楽しいのである。
監督の、実体験が下地になっているという。しかし、映画で描かれている娘の“母親いびり”は異常である。“良家”の娘のあの態度が実際許されているのか疑問に思った。
もしインドでの真実なら、それなりの必然性が描かれなければならない。
それと、夫はどうなんだろう。別に、悪いことをしているわけでもないのに存在感が薄い。
細かいところを見れば多少の不満もあるが、まあ楽しめる映画ではある。
『マダム・イン・ニューヨーク』-公式サイト