【 2015年10月21日 】 TOHOシネマズ二条
ドローンが首相官邸の屋上に落ちたとうニュースが今年の4月に報道されたことは記憶に新しいが、この映画の【ドローン】はいわゆる《ラジコン》のおもちゃのような代物ではない。アメリカの軍事兵器=【無人航空機】である。コンピュータで制御されていて、“敵地”である中東からはるか離れた、地球の反対側のアメリカの基地からコントロールされている。この映画を見て真っ先に思い出すのは、あの『湾岸戦争』の時に全世界に同時放送された、ゲームの画面を見るような《コンピュータで制御された》イラク空爆の映像だった。
戦争はこんなところまで《進化》してしまったのか。まるで会社員が事務所に出勤するように近くの軍施設に出かけ、エアコンのきいた部屋で、衛星回線から送られてくるコンピュータ上の標的を見定めて、ミサイルを発射する。地球の裏側にいるのだから敵から攻撃を受けて被弾することも撃墜されることもない。あるとしたら無人爆撃機が落ちるくらいである。
1日の《仕事》が済めば車で我が家に戻り、何もなかったように一家団欒の食事をし、子供と戯れる。
『マイファーザー』『ある愛の風景』、『ルート・アイリッシュ』『告発の時』で見たような、危険な状況も戦死も、家庭崩壊やPTSDによる自己破壊もない。せいぜい、現地で命を懸けて戦えないという【戦闘機乗りとしての矜持】が傷つけられるくらいである。そんなことは、どうでもいいことと思うのだが、映画の作者はそこにこだわりを見せているが、感覚の違いか価値観の違いか。
ゲーム感覚で人を殺す。敵か味方か、兵士か民間人か関係なく、みさかいなく発射ボタンを押す。
『アメリカン・スナイパー』でも、子供を標的にして撃つかどうするか迷う部分がある。しかし、そこで迷うかどうかで、良心があるかどうか、救われるか地獄に落ちるか、の問題ではない。暴力で人を殺そうと思うこと自体が間違いのはじまりなのだ。暴力の連鎖があるだけで、何も解決しないのは、パレスティナしかり中東しかり、各地の紛争の歴史を見ても明らかだ。
『ドローン・オブ・ウォー』-公式サイト