この映画・本、よかったす-旅行記も!

最近上映されて良かった映画、以前見て心に残った映画、感銘をうけた本の自分流感想を。たまには旅行・山行記や愚痴も。

最近のニュースを見て-韓国と日本と

2008-06-14 22:54:54 | 雑感
 テレビや新聞の報道を見ると、韓国ではアメリカ産の牛肉再開を巡って大規模なデモが起こっているという。何百人というのでなく何十万という規模らしい。

 高々牛肉の輸入を巡ってと思われるかも知れないが、新しい大統領の経済や教育に見られる金持ち優遇の政策、格差をいっそう助長する市場原理主義、規制緩和に対する反発も相当あると思われる。

 1980年の「光州事件(民主化運動)」を発端に、80年代に軍事独裁を打ち倒しようやく手に入れた民主主義が、ここに来て、また逆戻りされられるという危機感が働いているようで、日本の様子とは違う。

 日本との決定的な違いは、政府の背後にあるアメリカに対する国民感情の違いかも知れない。ちょっと比較にならないが、沖縄県民のアメリカに対する感情に近いのではないか。
 「光州事件」では、軍事独裁の圧倒的な暴力に対し
  《もしかしたらアメリカが助けに来てくれるかも知れない》
という淡い期待も、無惨に引きちぎられアメリカの本性を見た思いだったに違いない。
 『アメリカが味方なら、そもそもこんなことにはならなかった。』と劇中で、アン・ソンギ扮する元将軍がつぶやく。

 今回の大規模なデモは、そのアメリカの身勝手が発端であった。

 それにしても、韓国の国民は中途半端じゃない! すごい!

  ○    ○    ○

 秋葉原の事件は悲惨だった。あんな事件は決して起こしてはならないし、あってはならないことであり、許されることではない。
 
 しかし、気になる論調がある。この種の事件が起こるごとに、犯人の過去の経歴を調べ性行を調べ上げ、あたかも個人の資質に問題があったかのような取り上げ方をされる。個人の資質に問題があるのは間違いないが、社会背景が論じられことは少ないし、的外れな見方が多い。

 就職の機会を奪われた若者。正規雇用の入り口は狭く、非正規雇用や派遣やに頼らざるを得ない。しかも部品扱い以下の使われ方。努力をしても報われない社会。自分を必要と思ってくれない社会。
 巷には、そういう若者があふれている。

 だからといって、犯罪を犯していい訳ではない。許されない。しかし、犯行を個人の資質・性向・責任だけに求めるのは、こうした犯罪の再発防止にはならない。

 たとえば刑期を終えた元服役囚がいくばくかのお金も持たずに社会に放り出されたらどうなるか。
 普通の人間でも、働いても働いても生活が成り立たなかったらどうなるか。

 こんな場合、いつも出る反論は、「他の大多数の人間は、そうした境遇でも耐えて生活している。他人に迷惑をかけずに普通に暮らしている一方、罪を犯すのはその個人の努力や責任感が欠如しているのだ」と。

 今の日本は不遇や不幸につながる穴が大地に無数に開いている。その穴にはまってしまったらなかなか抜け出せない。運よく穴に落ちこまなかった人もいる。
確かに普通に暮らしている人もいるし、地雷原の平原を行くのとは無縁の別世界にいる人もいる。しかし、大多数の人は、やむなく地雷原を進むよう強いられる。

 運悪く、穴に落ちたり、地雷を踏んでしまった人に、自己責任だといいきれるだろうか。穴に落ちて、病気になった人も自殺をした人もいて、犯罪を犯す人は少数に違いない。しかし、人為的に作られた穴を放置して不幸は避けられるのか。

 聖職者も警察官も教員も心の優しいひとも普通の人も、境遇さえ変われば犯罪を犯しうる。
 今の世の中のやり方を変えていかないと、どうにもならないような気がする。 


 亡くなった方のご冥福を祈ります。


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