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【2013年3月29日】 Tジョイ京都
たまたま職場の同僚からこの映画の原作である本を薦められ、読んでいた。
書籍の存在も映画が作られていることも、それまで全く知らなかった。読みかけた最中に、この映画上映のニュースである。
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震災から2年がたったが、自分としては、この問題に正面から向かう心の整理が出来ていなかった。直後から、レポートやら震災後を検証する様々な本も出ていたし、映画も原発事故のものも含めこの間多数上映されてきたが、突きつけられた問題と衝撃が大きすぎて、それらを受け入れる気持ちの余裕がなかった。
自宅のDVDレコーダーのハードディスクには、3.11当日のニュースで放映された【津波で街が流される映像】がそのまま消さずに残されているが、震災以後ずっと見ないでそのままおいてある。ある意味、見るのが怖いのである。
今回の映画は、【避けていた映像】の一部を否応なく見せつけられた。津波で街が流されるシーンこそ無いが、目を覆っていた場面が登場する。
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その衝撃は、『日航機墜落事故』の御巣高山での遺体収集作業と身元確認作業の場面のことを思い出す。
一瞬にしてこれだけ多くの生命が奪われるというのは、どういうことだろうと思い、立ちすくんでしまう。【自分の身に覚えのない原因で人生を断ち切られる】というのは、どんなにつらく悔しいことだろうか、考え込んでしまう。
【今まで生きてきた生活の場を突然奪われる】、【それまで共に生活せてきた家族や仲間を失う】という時の喪失感とはどんなものなのだろうか。
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そういった混乱と絶望な中で、被災者の気持ちに寄り添って行動できる人間というのは、すごいと思うし素晴らしいと思う。
この映画(本)にはこうした人々が多数登場するが、皆がみな、はじめからすぐれた援助者ではない。行政から役をあてがわれ派遣されたものもいて、現場のすさましい状況に圧倒され、何をしていいのか分からずただ立ちすくむ者もいる。自らもショックで自分を保つことさえできない者もいる。
そんな中で、地元の民生委員である千葉さんという人に焦点があてられる。葬儀社での勤務経験を生かし、混乱した『遺体安置所』の空気を少しずつ変えていく。彼の使う《方法・手段》は相手の立場に沿った《優しい言葉かけ》と《物腰柔らかな姿勢》である。
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混乱だけが支配していと様な現場の空気が少しずつ変わっていく。
困難な状況に立ち向かっていく中で、人は成長し真価を発揮していくと感じさせる。
映画の中で、千葉の役は西田敏行が演じていたが、まさに適役である。
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原作者の石井光太氏が《あとがき》である『取材を終えて』で書いている。他にもある多くの被災地の中で『釜石』を選んだのは、街の半分が被災を免れ、地元の人が中心になって活動しているその中に、『震災によって故郷が死骸だらけとなったという事実を背負って生きていこうとする人間の姿がある』と。
本の『ルポルタージュ』はもちろん、映画の方も原作者の意図をよく汲んで、それぞれの出演者も演技くささを感じさせず、感動的な出来栄えだった。
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一口に、《震災の被害》といっても、地震と津波による直接的被害と原発事故による被害とは根本的に性格が異なるものだ。何に対して、『どう怒るか』・『どう悲しむか』はそれぞれ異なるし、将来への対応も違ってくる。
《地震・津波》という災害とは別の、もうひとつの《人災》である『原発事故』の問題があるから、『阪神淡路』の時と違って整理のしにくい課題が多くあり、簡単には解決策を受け入れられないのだ。
『原発事故』が《終息した》などというのは、とんでもない話である。
『遺体』-公式サイト