【 2018年1月23日 】
ペンクラブの存在や活動など日常はあまり気にも留めなかったが、あらためてその活動をこの本で振り返って見ると、時期じきの重大な局面で、的を得た重要なメッセージを社会に発信しているのが分かる。
日本ペンクラブ歴代の会長を列挙するとこうなる。
名前 在籍期間
初代 島崎藤村 1935/11/26〜1943/08/22
2代 正宗白鳥 1943/11/03〜1947/02/12
3代 滋賀直哉 1947/02/12〜1948/05/03
4代 川端康成 1948/05/31〜1965/10/01
5代 芹沢光治良 1965/10/01〜1974/11/12
6代 中村光夫 1974/11/12〜1975/05/20
7代 石川達三 1975/05/20〜1977/07/01
8代 高橋健二 1977/07/01〜1981/05/15
9代 井上靖 1981/05/15〜1985/06/08
10代 遠藤周作 1985/06/08〜1989/04/25
11代 大岡信 1989/04/25〜1993/04/20
12代 尾崎秀樹 1993/04/20〜1997/04/24
13代 梅原猛 1997/04/25〜2003/04/24
14代 井上ひさし 2003/04/25〜2007/05/29
15代 阿刀田高 2007/05/30〜2011/05/24
16代 浅田次郎 2011/05/25〜2017/06/18
現在 吉岡忍 2017/06/19~
そうそうたるメンバーである。
『日本ペンクラブは「国際ペン憲章」に基づき行動する』となっていて、その「基本理念」はホームページに次のように掲げられている。
『 国際P.E.N.は、文学・文化に関わる表現とその普及にたずさわる人々が集まる唯一の国際組織です。
創立は1921年にさかのぼります。
日本ペンクラブはその日本センターとして、「国際P.E.N.憲章」に基づき、「文学の普遍的価値の
共有」「平和への希求と憎しみの除去」「思想・信条の自由、言論・表現の自由の擁護」を基本理念
として活動してきました。
国際P.E.N.も日本ペンクラブも設立の背景には、戦争に対する危機感がありました。戦争に至る社会
と世界は、いつ、どこにおいても味方と敵を作りだし、生命と人権を軽んじ、言論・表現の自由を抑圧
する――そのことを身に沁みて知った文学者たちが、国境と言語、民族と宗教の壁を越えて集まったの
が始まりです。
私たちは文学と文化的表現に立脚しながら、あらゆる戦争に反対します。いかなる国の核兵器と核実
験も容認しません。そして、生命と人権、言論・表現の自由を守るための活動をつづけています。 』
なるほど、そうなんだ。単なる雑多な作家集団とは違う。作家というと、個人プレイがまず目についてしまうが、個人にとどまらないで組織としてきちんとした方向性を持っている。
章の途中に入っている「日本ペンクラブ小史」を見ると分かるように、『日本ペンクラブは、ロンドンに本部をもつ国際ペンの日本センターとして1935年(昭和10年)の11月26日に創立されている。その昭和10年の日本は、満州事変後に国際連盟を脱退して、国際的に孤立に向かう状況に置かれてた。それを憂う動きから、国際ペンからの設立の要請もあって、当時第一線で活躍していた作家、詩人、外国文学者、評論家の有志の賛同を得て、日本ペンクラブが創立されたとある。その後の日中戦争、太平洋戦争下で言論弾圧が厳しくなった時にも、日本ペンクラブは、平和を希求し、表現の自由に対するあらゆる形の弾圧に反対するとの精神に賛同する会員で運動を継続してきたということだ。ペン(PEN)のPは詩人、俳人、劇作家、Eはエッセイスト、エディター、Nは作家を意味していたが、その後の表現活動の広がりとともに会員範囲も、記者やジャーナリスト、学者から翻訳者、写真家・デザイナー、漫画家に音楽家、あるいはインターネットに携わる者と、拡大されてきたという。
第一章だけが歴史的順序を無視して、二人の自衛隊とのかかわりの話から始まっている。浅田次郎が自衛隊に入隊していたなんて初めて知った。それとこの時期を前後して早稲田大学のの有る新宿近ぺん大久保あたりで、200メートルも離れているかいないかの至近距離にそれぞれ下宿していたという。(そういう私自身も、大学に入学する前年の浪人生活の時期、大久保にあった予備校に1年間、横浜から通い続けたから新宿・渋谷とか大久保という地名には親近感を覚える。)それで「三島由紀夫の事件」が発生し、ふたりの人生に大きな影響を与える。
第二章からは、歴史を遡って、日清・日露の戦いと文学者のかかわりの話に転じる。
浅田:『日清戦争って、たぶん100%勝てる戦争をお祭りでやったんだと思うな。』・・・『明治天皇が自ら軍を率いて、広島まで前進したという、あれ1つをみても、やっぱりお祭りだったと思います。』(P-66~67)
という、興味深い話の後に日露戦争周辺の話が、萩原朔太郎、泉鏡花、国木田独歩、森鴎外の作品のエピソードと合わせて続く。
第三章は、大正デモクラシーと昭和の暗い時代への転換期の話。谷崎潤一郎や川端康成、石川達三が話題に登場する。大正デモクラシ-の時代の一端を捉えた言葉にハッとするものがあった。
吉岡:『新聞紙条例から新聞紙法ができたけど、その後の日本文学報国会みたいなものは、まだないからね。』
浅田:『まだ自粛の時代だと思うんだよね。本格的に軍が干渉してくるのは、1938(昭和13}年の国家総動員法以降だと思う。大正時代はわりと緩いんだよ。』(P-80)
そして、国家総動員法が出される前後の描写で
浅田:『出版社にとって、発禁が一番やばいんだ。』
吉岡:『本なんか、もう印刷終わっているわけで、経済的ダメージを受けますからね。それを考えれば、無難に、無難に、というので、どんどん自粛が進んでいくということです。』(P-98)
何か今の世の中の有り様と似てはいないか、と思う。先日の『表現の自由を問うシンポジウム』であった「日本はまだ、一部諸外国でなされているような言論に対する表立った暴力的圧力はない」というのに、「空気ばかり読んで、自粛したり、忖度するのではなく、望月さんのような記者が堂々と自由に活躍できる社会であって欲しい。」という発言を思い出す。
第四章では、いよいよ日中戦争に突入するが、そもそもの戦争の始まりは《居留民保護》だった。どこか安倍首相が自衛隊を海外に派遣したがっている口実と似てはいまいか。
その他この後、『作家が従軍する理由』だとか、大倉財閥の話とか興味は尽きない。
読んでいてなかなか面白いのだが、やはりどうしても気になる。「チェルノブイリ原発事故がソ連崩壊の原因になった」という話も出てくるが、『言論・表現の自由』の問題や『憲法や安全保障』の問題、『戦争やテロ』の問題、『核兵器や原発』の問題-どれも国内だけでは片付かなくて国際的に考えなければならない問題なのに、国連特別報告者の勧告を無視し続けたり、必要な条約を批准しなかったりして、ウソを並べ立てる今の日本政府の姿は、1933年に国際連盟が下した「日本軍(関東軍)の満州からの撤退決議」に反発し、議場から去った松岡洋祐に象徴される《世界から孤立していく》当時の日本の姿と重なる。
「北朝鮮の金正恩」や「アメリカのトランプ」だけがおかしいのではなく、「日本の首相・安倍」もだいぶおかしいと、今どれだけの日本人が思っているのだろうか。