【 『イザルヶ岳』より『聖岳』方面 】
【 2015年9月23日 】
登山5日目
6:10光小屋出発-6:35イザルヶ岳-7:40イザルヶ沢下り
-8:10三吉平-9:40易老岳(休憩)-10:03同、出発-10:27
2254m地点-11:30 1800m地点-12:16 面平(1480m)
-13:00 1200m地点-14:00易老渡-15:05便ヶ島
-15:30同、出発-16:40『神楽の湯』着(入湯・夕食)-10:40
京都上賀茂帰着
【 5日目の行程 】
5時に朝食をとった後、6時過ぎに小屋を出る。空はすっきり晴れ渡っている。昨日来た道を、易老岳まで戻ることになるが、『イザルヶ岳』には前日寄れなかったので、分岐点で頂上への道をとる。
【 夜明けの『兎岳』『大沢岳』方面 】 【 『笊ヶ岳』『青薙岳』方面 】
昨日寄らずに、今朝来たのが正解だった。早朝でガスが上がってきておらず、360度のパノラマは『仁田岳』にまして素晴らしかった。『聖』はもちろん、『富士山』から『御嶽山』まですっきり見渡せる。
【『イザルヶ岳』からの富士山 】
【『御岳』遠望 】
【 『イザルヶ岳』より西方向 】
1時間ほど景色を堪能した後、7時40分頂上を後にする。『静高平』から昨日、いつ終わりとも思われなく苦しめられた『イザルヶ沢』の下りに入る。下ってみたも長いし、だいたい太陽の光が届かないから陰気なのだ。前方にわずかに開いた空間に特徴のある山影が見える。『塩見岳」かとも思ったが地理的にそんなはずはないと思い後で調べてたら『奥茶臼山』だった。
【『イザルヶ沢』下りから見る『奥茶臼山』】
『三吉平』まで下ってから、昨日通った記憶のある木立の間を潜り抜け、今度は『易老岳』までの登りである。やはり昨日休んだ同じ場所で支障休止する。山を駆け足で登るような若者のグループが休んでいた。
ここからは、『易老渡』まで長い長い下りである。
10時過ぎ、出発。【易老渡まで3:20】の案内板がある。
【『易老渡』へ(3:20)】
途中、『2254m地点』が小ピークになっていて少しの登り返しがあるが、それからあとは見通しのきかない退屈な山道が延々とつづく。
【 2254m地点 】
周りの景色が見えないので、どのくらい下ったか見当がつかない。思い出したようにつけられた【標高を示す標識】と【易老渡までの番号を振った札】だけが頼りなのだが、もともと等間隔につけられていないのか、こちらの感覚が狂っているのか、なかなか次の番号がやってこなかったりであてにならない。
【『面平』1480m地点 】
12時15分をすぎてようやく地図にもある『面平』に到着。3分の2近く下ってきたが、標高から言うとまだ500m以上下らないといけない。
【 1200m地点 】
道は急斜面につけられたつづら折りである。そろそろ膝が痛みそうな気がする。それまでは、連れのYさんと同じようなペースで歩いてきたのだが、俄然Yさんのペースが上がり(私のペースが落ちたのか?)視界から消えていく。『1200m地点』から1時間近くかかって、ようやくYさんが待っていた易老渡に架かる橋に到着する。
【『易老渡橋』に到着 】
5日前、車を停めるスペースがなかったため、この場所を通り過ぎ、『便ヶ島』の駐車場まで行ったため、解ってはいたが、さらにそこから30分登りの道を行かなければならない。それでも、平坦な道はまだましだ。
ようやく車の停めてある『便ヶ島駐車場』に1時間かかって到着。
【 空になった駐車場 】
5日前の混雑が嘘のように、がらんとしている。一時は《道路崩落》の知らせで帰れるのかと思ったが、みな無事下山したようだ。
靴を履き替え、水分を補給し、一段落して駐車場を出発する。5日間の汗を流したいが、1時間ほど険しい山道を下らなければ温泉に入れない。
【 湧水が大量に林道を横切っている 】
途中、山側から大量に湧き出た水が林道を横切り谷川に滝のように流れていく。崩落の危険はそこいら中にある。ここ易老渡からの聖岳の登山は、《登山道に入るまでの道の方が険しい》と誰かが言っていたが、なるほどと思う。滝のような大量の水が、登山口までの林道をあちこちで横切っているのを見れば、いつ道路が崩落しても不思議ではないと思った。
【 崩落現場 】
今回どこが崩落したのかと探しながら車を進めていたら、思っていたところとは違って、易老渡からかなり下った比較的川幅の広くなった場所だった。崩落した個所の手前(上流)で河原に下りて、砂利の川床につけられた仮の道を進む。
【 「全面通行止め」の看板 】
さらに下流に進んだところで、【全面通行止め】の看板。
入山が1日遅れていたら、崩落現場のてまえで車が止められ、2時間以上の距離を徒歩で行くか、登山自体をあきらめなければならないところだった。ある意味幸運だった。
【 登ってきた山を振り返る 】
運転をYさんに任せ、登って来た山を車窓から振り返る。
はじめは、あまり気乗りしなかったが、来てみれば思いで深い山行となった。
【 遠山郷『神楽の湯』】
遠山郷『神楽の湯」で山の汗を流し、ノンアルコール・ビールでのどを潤し、中央道飯田ICまでの複雑に入り組んだ道を縫うように進んで、午後10:40、京都上賀茂に無事帰着。
『2015年9月聖岳から光岳へ縦走』その1へジャンプ
2015年9月聖岳から光岳へ縦走-その5(最終回)
【 2015年9月23日 】
登山5日目
6:10光小屋出発-6:35イザルヶ岳-7:40イザルヶ沢下り
-8:10三吉平-9:40易老岳(休憩)-10:03同、出発-10:27
2254m地点-11:30 1800m地点-12:16 面平(1480m)
-13:00 1200m地点-14:00易老渡-15:05便ヶ島
-15:30同、出発-16:40『神楽の湯』着(入湯・夕食)-10:40
京都上賀茂帰着
【 5日目の行程 】
5時に朝食をとった後、6時過ぎに小屋を出る。空はすっきり晴れ渡っている。昨日来た道を、易老岳まで戻ることになるが、『イザルヶ岳』には前日寄れなかったので、分岐点で頂上への道をとる。
【 夜明けの『兎岳』『大沢岳』方面 】 【 『笊ヶ岳』『青薙岳』方面 】
昨日寄らずに、今朝来たのが正解だった。早朝でガスが上がってきておらず、360度のパノラマは『仁田岳』にまして素晴らしかった。『聖』はもちろん、『富士山』から『御嶽山』まですっきり見渡せる。
【『イザルヶ岳』からの富士山 】
【『御岳』遠望 】
【 『イザルヶ岳』より西方向 】
1時間ほど景色を堪能した後、7時40分頂上を後にする。『静高平』から昨日、いつ終わりとも思われなく苦しめられた『イザルヶ沢』の下りに入る。下ってみたも長いし、だいたい太陽の光が届かないから陰気なのだ。前方にわずかに開いた空間に特徴のある山影が見える。『塩見岳」かとも思ったが地理的にそんなはずはないと思い後で調べてたら『奥茶臼山』だった。
【『イザルヶ沢』下りから見る『奥茶臼山』】
『三吉平』まで下ってから、昨日通った記憶のある木立の間を潜り抜け、今度は『易老岳』までの登りである。やはり昨日休んだ同じ場所で支障休止する。山を駆け足で登るような若者のグループが休んでいた。
ここからは、『易老渡』まで長い長い下りである。
10時過ぎ、出発。【易老渡まで3:20】の案内板がある。
【『易老渡』へ(3:20)】
途中、『2254m地点』が小ピークになっていて少しの登り返しがあるが、それからあとは見通しのきかない退屈な山道が延々とつづく。
【 2254m地点 】
周りの景色が見えないので、どのくらい下ったか見当がつかない。思い出したようにつけられた【標高を示す標識】と【易老渡までの番号を振った札】だけが頼りなのだが、もともと等間隔につけられていないのか、こちらの感覚が狂っているのか、なかなか次の番号がやってこなかったりであてにならない。
【『面平』1480m地点 】
12時15分をすぎてようやく地図にもある『面平』に到着。3分の2近く下ってきたが、標高から言うとまだ500m以上下らないといけない。
【 1200m地点 】
道は急斜面につけられたつづら折りである。そろそろ膝が痛みそうな気がする。それまでは、連れのYさんと同じようなペースで歩いてきたのだが、俄然Yさんのペースが上がり(私のペースが落ちたのか?)視界から消えていく。『1200m地点』から1時間近くかかって、ようやくYさんが待っていた易老渡に架かる橋に到着する。
【『易老渡橋』に到着 】
5日前、車を停めるスペースがなかったため、この場所を通り過ぎ、『便ヶ島』の駐車場まで行ったため、解ってはいたが、さらにそこから30分登りの道を行かなければならない。それでも、平坦な道はまだましだ。
ようやく車の停めてある『便ヶ島駐車場』に1時間かかって到着。
【 空になった駐車場 】
5日前の混雑が嘘のように、がらんとしている。一時は《道路崩落》の知らせで帰れるのかと思ったが、みな無事下山したようだ。
靴を履き替え、水分を補給し、一段落して駐車場を出発する。5日間の汗を流したいが、1時間ほど険しい山道を下らなければ温泉に入れない。
【 湧水が大量に林道を横切っている 】
途中、山側から大量に湧き出た水が林道を横切り谷川に滝のように流れていく。崩落の危険はそこいら中にある。ここ易老渡からの聖岳の登山は、《登山道に入るまでの道の方が険しい》と誰かが言っていたが、なるほどと思う。滝のような大量の水が、登山口までの林道をあちこちで横切っているのを見れば、いつ道路が崩落しても不思議ではないと思った。
【 崩落現場 】
今回どこが崩落したのかと探しながら車を進めていたら、思っていたところとは違って、易老渡からかなり下った比較的川幅の広くなった場所だった。崩落した個所の手前(上流)で河原に下りて、砂利の川床につけられた仮の道を進む。
【 「全面通行止め」の看板 】
さらに下流に進んだところで、【全面通行止め】の看板。
入山が1日遅れていたら、崩落現場のてまえで車が止められ、2時間以上の距離を徒歩で行くか、登山自体をあきらめなければならないところだった。ある意味幸運だった。
【 登ってきた山を振り返る 】
運転をYさんに任せ、登って来た山を車窓から振り返る。
はじめは、あまり気乗りしなかったが、来てみれば思いで深い山行となった。
【 遠山郷『神楽の湯』】
遠山郷『神楽の湯」で山の汗を流し、ノンアルコール・ビールでのどを潤し、中央道飯田ICまでの複雑に入り組んだ道を縫うように進んで、午後10:40、京都上賀茂に無事帰着。
『2015年9月聖岳から光岳へ縦走』その1へジャンプ
2015年9月聖岳から光岳へ縦走-その5(最終回)