【2012年11月7日】 京都シネマ
過日、『トガニ 幼き瞳の告発』という、韓国の養護施設での児童虐待(性的虐待)の告発映画を見たが、今回は北欧ノルウェイの矯正施設での虐待を扱った、事実に基づくという映画だ。
1915年に起きた事件というから多少、年代は古いが今の世の中でも有りうる話である。
舞台はオスロから70km離れた『バストイ島』という孤島にある施設で、こちらは『障碍者』でなく少年犯罪を犯した《問題児》の収容施設だ。刑務所に送る前段階の《矯正施設》のはずだが、陸から離れた孤島にあり脱出不可能で、そこでの生活は、名前はなく番号で呼ばれ、厳しい規則の押しつけ、絶対服従の命令関係と厳罰主義が管理する毎日だった。院長もその下の寮長も、保身には熱心でも、更正・社会復帰の教育とは無縁なもので、今の感覚からすると、刑務所よりも過酷な環境に思える。
物語は、その島に新たに2人の少年(C19とC5)が送り込まれてくるが、1人(C19)の方は脱走を繰り返し、とのたびに連れ戻される。もう一人(C5)は、気弱そうな少年で、寮長に目を付けられ、自殺に追い込まれる。2人が収容されたC棟には、《卒業》間近いC1がいて、院長・寮長からC19の《反抗》の責任を咎められる。良心と自己の《卒業》(施設からの開放)の狭間で悩むが、島を離れる《最後の段階》でそれまで抑えていたものが噴出する。
その施設を運用しているのはキリスト教系の慈善団体であり、その点は『トガニ』の養護施設と共通するものがある。上層部の腐敗に対し『トガニ』の方は一部良心的な教員の内部告発のような形で発覚するが、こちらは理事会の《監査》もなんなく切り抜け、使用人も《見て見ぬふり》をしたものだから、一部の少年の反抗から集団による《反乱事件》にまでなり、軍隊が出動し鎮圧する悲劇になってしまう。
世間にとっては、《犯罪者》、《邪魔のも》と思われる少年にも、『友情』や許されない不正に対する『良心』があることを、この映画は教えてくれる。
氷の海での最後のシーンは、胸を打たれる。
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この映画とはあまり関係がないが、昨日朝のテレビニュースで、『福祉の支援を受けることができず、生活のために軽微な犯罪を繰り返す知的障害者「累犯障害者」の更生や社会での共生の在り方について話し合うシンポジウム』が長崎市であったことが紹介されていた。出勤前の時間帯の短い報道だったので、どんなことが論議されたかの詳しい内容までわからなかったが、地道な取り組みが多く芽生えればいいなと感じた。
『孤島の王』-公式サイト