【 2018年3月25日(日) 】
7:00朝食-9:00ホテルを出発-10:15ゲバラ廟到着-(廟内見学・集合写真)-10:40サンタクララ出発
-12:30マタンサス着-(昼食)-13:30同、出発-14:50トイレ休憩(下痢をする)-15:30ハバナの病院着
-(受診診療・ここからグループとは別行動)-16:30タクシーでホテルへ-(この間、グループ本隊はクラッシック・カーでハバナ見学)
-17:10ホテル到着-(ホテル内で過ごす)-20:00外のスーパーへ買い物(部屋で夕食)
前日、トリニダーからサンタクララに入り昨日は「装甲列車襲撃現場」と「共産党本部」前の子供を抱くゲバラ像だけを見て日没になった。今日の午前中は、「ゲバラ廟」を訪ねる。
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サンタクララのホテルは、広い敷地にコテージ風の別棟が点在していて、そのうちの1つが自分らの部屋としてあてがわれた。室内は広々とたスペースで、隣りも気にならない。食堂に行くには少し離れた別棟も建物まで歩かなくてはいけないが、快適な宿だった。
朝、7時半に朝食を済ませ、100mほど離れたセンターに集合して、9時半の遅い出発である。
【 ホテル敷地の朝 】
昨日行った市の中心部にほどなくつく。今日向かうのは「ゲバラ廟」である。ゲバラが亡くなったのはボリビアの山中で、1967年のことだったが、長い間その遺体は調査されることもなくどこにあるかも不明だった。それが30年近くもたった1997にようやくその存在がわかり、共同墓地から発掘されてキューバに運ばれ、ここサンタクララに埋葬されたのだった。
「ゲバラ廟」は丘の上に立つモニュメントの土台となっている下部に半地下の部屋で構成されている。
一昨年訪れたベトナムの「ホーチミン廟」は広大な広場を前に白亜の殿堂のような建物が聳え、周囲を柵が囲みその向こうの階段の上には交替式の時以外は24時間身動きもしない衛兵が立っていたが、ここはそんな重々しさはない。入場に許可こそいるが、誰でも霊廟の中に入れる。(ただし、やはり撮影は禁止でカメラ等の手荷物は預けなければならなかったが。だから、廟内の写真は無し!)
荷物を預け、半地下の廟の中に入ると室内は照明が落とされ薄暗く、岩壁には小さなランプがともされ、ゲバラだけではなくキューバ革命で散った戦士たちの名も刻まれていた。添えられた花は新しく、尋ねたら毎日換えているそうである。
外に出ると、明るい太陽が大理石の白いモニュメントに照り返されまぶしい。ひときは高い「ゲバラ像」を中心にして、その前で集合写真を撮る。右手にある《石に刻まれた文字》は『最後の手紙』であろうか。
【 ゲバラ像の前で集合写真-妻はこの時もバスの中で待機 】
モニュメントの前に広がる、だだっ広い広場を上から眺めたあと、バスに乗り込み「ゲバラ廟」をあとにして、ハバナまでの中間地点に当たるマタンサスの昼食会場に向かう。昨日昼から調子の悪かった妻のお腹がまだ悪く、この日も食事にはほとんど手を付けられなかった。
【 昼食会場 】
昨日は、サンタクララに着く前のトイレ休憩では、我慢ができずにもどしてしまっていた。下痢止めのような薬ももらったが、まだ治まっていないようだ。バスに長時間揺られるとまた吐きそうになるという。昼食もあまり進まず、ハバナに帰った病院に行こうと話をしていた。今日は日曜日で病院の外来もしていないだろうから、明日まで我慢しようと決めて、行くとしたらどこがいいか同乗しているガイドのマリアさんに相談をする。そうこうしているうちまた気分が悪くなり、それを見て「病院に立ち寄ってくれる」という。まさか、日曜の時間外の時間に見てもらえるとは思ってもいず、手続きもわからなかったから助かった。
【 病院の外観と 内部 】
私たちを病院で降ろし、病院スタッフにガイドさんから必要事項を伝えてもらったら、添乗員を含めた一行はすぐに、その後に予定されている《ハバナ市内観光-クラッシクカー乗車体験》に向かうものと思っていたら、一団をバスに残したまま、マリアさんはなんと受付から医師の診察に立ち合って経過状況から病状の説明まで、言葉の通じないわたしたちに代わって直接医師に話をしてくれた。
それにしても、病院の対応はスピーディーだった。現地の人らしい患者もホールのあちこちで見かけたが、受付を済ませ診察室に入るまで10分も待たなかった。医師は聴診器を当て、脈を取り、喉の奥をのぞき込みさらに詳しい状況を丁寧に聞き取り懇切丁寧に対応してくれた。しばらく考え、カルテに自分の手で書き入れ、処方箋を書く。数人いる看護師は横についていたり医師の指示で表情を変えず動く。薬を受け取り、会計を済ませて驚いた。休日の時間外の10割全額負担で、請求された金額は42ペソ。(日本円に換算して5千円にも満たない!)
その間、薬が出されるまで少し間があったので、玄関に出てみるとホテルのドアボーイのような役回りの人が笑顔を向けてきた。片言の英語で話してみると、空手を習っていると言い、自分は大の日本ファンだという。とても海外旅行など出来そうもないが、行ってみたいという。タクシーを呼べるかと尋ねると、自分の仕事だと言って手配してくれるという。
予想外の長い待ち時間でバスに取り残された人が、待たされついでにトイレを借りようとバスから降りてきて建物の中へ。「私もわたしも」と続いてくる。
マリアさんがその後予定を続けるためにバスに戻ったのは、薬が渡され会計を済ませる最後までを見届けた後だった。ようやくほっとした顔をして、私たちが無事にホテルまで行けるか確認して、皆の待っているバスに乗り込んでいった。
長い時間待たされ、貴重な時間をバスのなかでつぶしてしまった皆さんがバスの窓から手を振って声をかけてくれた時は有難い感謝の気持ちで一杯だった。
一行を見送った後、ここからは別行動である。手配してもらったタクシーに乗り込んでホテルに向かう。キューバに着いて最初にとまった所と同じホテルである。みなと別れた後気が付いたが、旅行鞄をバスに積んだままだった。バスが戻ってくるまで荷物の整理もできなければ食料もない。
プールの様子を見に行っても何もできず、部屋でしばらく寝っ転がった後、近くのスーパーに買い出しに出かける。ちょうど帰宅時間でバス停は人でごった返していた。ハバナに路面電車はなくバスが唯一の公共交通機関らしいが時間通りになかなか来ないらしい。
しばらく休んだせいか薬が効いてきたのか、それとも多少安心できたのか、妻も少し元気が出てきて食用も戻り、スーパーで買ったもので軽く腹を満たす。
時間もあるのでホテル周辺を散歩する。ホテルの裏手はすぐ海で夕陽がきれいだった。
【 つづく 】
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