『ヤコブへの手紙』 2009年 フィンランド制作
監督・脚本: クラウス・パロ
配役 : レイラ カーリナ・ハザード
ヤコブ牧師 ヘイッキ・ノウシアネン
郵便配達人 ユッカ・ケノイネン
舞台はフィンランドの片田舎。かつて殺人の罪で収監されていたレイラは模範囚として恩赦を受け、刑務所から釈放されることになる。身寄りのない彼女が、新たな生活の場として紹介されたのは、盲目の牧師ヤコブのもとで、毎日届く手紙を読み、返事を書く手伝いをすることだった。
郵便配達人が毎日届ける手紙には、様々な悩みが書かれていて、ヤコブはその1つ1つに丁寧に返事をすることが自分に課せられた使命のように思い、かつ生き甲斐となっていた。手紙は、長年にわたり同じ人から繰り返し来ることもあり、レイラが手紙の一部を読み上げただけで、牧師は誰からの相談かをすぐさま言い当て、返事に聖書の一節を引用して口述したものを書くようにレイラに指示を与える。一方、レイラの方は、仕方なくその仕事をこなすだけで、時には多すぎる手紙の返事に付き合うのが嫌になり手紙を井戸に捨てたりしていた。
ところが、毎日届いていた手紙が少なくなり、ある日まったく届かなくなる。すっかり気を落とすヤコブを見て、レイラは郵便配達人に、どうして手紙が届かなくなったかを尋ねるが「来ない手紙は届けられない。」と言われる。手紙は途切れ、たまに来る郵便も「商品の購入を薦めるタイレクトメール」のようなものだけだった。
レイラは、芝居を打つ。封を切り、あたかも信者からの手紙のようにみせて、思い付きの言葉を並べる。それに気づいたヤコブは《真実》を語り始める。どうして、レイラがヤコブのもとで働くようになったのか。そもそもどうしてレイラが刑務所に入らねばならなかったのか、その秘密が明らかにされる。
この映画を観て思い出されるのは『幸福の黄色いハンカチ』だ。高倉健の演じる島勇作が網走刑務所を出所の日、たまたま観光に来ていた若い《俄か作りの》のカップル(桃井かおりと武田鉄矢)と繰り広げる旅の中で、過去の出来事を織り交ぜながら、【どうして夕張に行くことにこだわるのか】を縦の糸として、クライマックスに至る展開は見事で、ラストシーンでは思わず涙を浮かべてしまった。
『ヤコブへの手紙』は、社会背景も事件の動機も全く違うが、2つの映画に共通するのは『人間にとって大切なものは何か』を指し示している点である。ヤコブは、【自分が人々の心の支えになっている】と思っていたが、実は【人々によって生かされていた】ことを知る-【人は互いに支え合いながら生きている】のだ。
音楽も情況に溶け込んで、しみじみと響き、深く心に沁みいる良い映画だった。
『ヤコブへの手紙』を最初に見たときのMyブログ