【 2016年7月28日 】 京都コンサートホール
4月にカタログで、「カルメン」と「ボレロ」と「アランフェス交響曲」の演奏曲目を見て「これなら私も分かりやすいから」との妻の一声と、自分もチャイコフスキーやベートーベンもいいが、ラベルとかファリア、リムスキー・コルサコフなんかのエキゾチックな曲もたまには聞きたいと思っていたので、早速、一番安い席-(それでも5千円!)を予約購入する。
最近は、大学の交響楽団が主催する無料招待のコンサートにしか行っていないので、やっと当日が来て、期待を持って出かける。
入口でも受け取ったプルグラムを見ると、「演奏者の希望により」とことわりが入って演奏曲目が変っているではないか。【「カルメン組曲から」】が【トゥリーナ・交響詩「幻想舞曲集」】に変わっていた。「『カルメン』を聴きたいと思って来た聴衆の意向はどうしてくれるんだ。」と、その時は多少腹が立った。
「トゥリーナ」を聴くのは初めてだった。そんな人が居ることも知らなかったが、聴いてみれば、スペイン風の響きが感じられてなかなか良かった。
2つ目の演目は、ロドリーゴの「アランフェス協奏曲」。《Adagio》は「ブラス」の演奏で妻にもお馴染みだ。ギターの音量がやはりオーケストラに比べると小さいが、それでも超絶技巧は圧巻だった。ギター奏者のパブロ・ヴィレガスという人、サービス精神旺盛で、舞台と袖の間を何回も往復して、アンコールを2回もしてくれた。(1つはなじみのある「アルハンブラの想い出」だった。)こちらは満足ったが、その間オーケストラの面々は《待ちぼうけ》を付き合わされて気の毒だった。
「ファリア」はやっぱり良かった。ファリア独特のハーモニー、音遣いが「スペイン」を満喫させてくれた。最後はラヴェルの「ボレロ」で盛り上がり、鳴りやまない拍手。指揮者も舞台と袖を何回も往復し、こちらもアンコールを2回。ここで「カルメン」が出て、聴衆の手拍子とオーケストラが一体となり最高潮!いつ終わると知れず、拍手が鳴り響く。予定より30分近くの時が経過している。サービス精神旺盛だ。
同じことを数回繰り返した後ようやく、これでは切りがないと悟ったのか、楽団員とコンサートマスターが申し合わせたように席を立ち、観客に笑顔を振りまくやら、互いに抱き合い成功を祝い合っている。すぐに退席すると思っていたら、舞台の上でそれぞれがスマホを出して記念撮影をしている。「京響」の舞台ではちょっと考えられない光景だ。
曲目が変更になったことなどすっかり忘れて、大満足だった。
(ただ、この「ポディウム席」(舞台の後ろの席)背板が3席分一続きになっていて、隣の人の《背に持たれる振動》がもろに伝わり、神経をかき乱される。楽団員の姿がまじかに見れるのはいいが、隣の人の所作が伝わるのはいただけない。コンサートホールの設計者に「こんなところでけちらないで、《独立した》ちゃんとした席にして欲しい」といいたい。)
さすが玄人の音の正確さと一糸乱れぬ演奏は最近聞きなれた「大学の管弦楽団」とはやはり違い、また妻は「『アランフェス協奏曲」のギターには涙が出た。」といい、《いけめんの指揮者》にも満足し、「やっぱり、たまにはお金を出して聞きに来ないといけないね。」と納得してコンサートホールを後にする。