【 2016年8月2日 】 TOHOシネマズ二条
思い入れが深いと、なかなかペンが先に進まない。映画を見たのが8月2日で、翌日にはこのブログをアップしようと思っていたが、もう2週間が過ぎてしまった。
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米下院の「非米活動員会」による《ハリウッドの赤狩りは、第二次大戦後間もない1947年から始まっていた。その時に矢面に立たされたのが、この映画の主人公になっているトランボを中心とする映画人だった。この「非米活動委員会」というのは、戦前に「ファシズム」の浸透を防ぐ目的で設けられたのが、その後「マッカーシズム」と共に《赤狩り》の象徴のようになってしまっていた。
私がトランボを知ったのは、学生時代に「ジョニーは戦場に行った」の映画を見た時が最初だった。その時は、ダルトン・トランボという名前を知る由もなかったが、映画の強烈な印象は残っていた。その後、映画に親しむ中で、「ローマの休日」や「真昼の決闘」、「パピオン」を見た時も「ハリウッド・テン」や「ダルトン・トランボ」の名前とは直接結びつかなかった。
【「ハリウッド・良心の勝利」 山田和夫著 1992年 新日本出版 刊 】
頭の中に雑然と並べられていた情報が、1本の筋として整理されるきっかけとなったのが『ハリウッド・良心の勝利』という山和和夫の本だった。日本でも《赤狩り》レッドパージがあり、多くの公務員がその地位を追われらが、映画界でも『東宝争議』を筆頭に、その嵐が吹き荒れた。その結果、黒澤明なども巻き込んで今井正、山本薩男などの監督やその他、革新的な脚本家、プロヂューサーなどが会社を追われていた。(*註1)
映画は娯楽であると同時に、その時代の世相を反映する影響力の大きい媒体であるから、当時の支配階級にとっても【目の上のたん瘤】だったに違いない。
*註1:東宝を追われた彼らはその後「独立プロ」を作り、映画つくりを継続していく。下記のブログを参照のこと。
『薩チャン正ちゃん、戦後独立プロ奮闘記』-のマイブログ
日本の『東宝争議』が、まだ影響力も力も強かった労働組合が大きな力を発揮して闘争の矢面に立ったのに対し、アメリカでは組合も共産党も弱体で、革新的映画人を援助するどころか、逆にその足を引っ張るばかりで、『ハリウッドテン』などの個人が直接《赤狩り》攻撃の標的にされ、孤軍奮闘する形だった。
今回の映画では、その辺の状況が描かれている。
俳優は映画界を追われたら、偽名で出演することはできない(何しろスクリーンに顔が映し出されるのだから!)が、脚本家であるトランボはそれができた。友人の名前を借りたり偽名で脚本を書き続けた。そのうちの何本かは賞を取ったりもしたが、クレジットに自分の名前が出ることはない。
感動的なのは、私が大好きな『ローマの休日』の原作・脚本を書いたのがトランボその人であり、のちにそれが認められ、「アカデミー賞の最優秀原案賞」が本人に代わり家族に贈られたことである。
下の本は、「ローマの休日」が生まれたいきさつや、この映画の背景となっている当時の状況が詳しく綴られている。(この本、装丁も四六版の簡素なもので400ページに満たないのに3200円と高価だったが、タイトルに引かれ衝動買いしてしまった!せめてハードカバーにしてもらえたら!)
【「ローマの休日」を仕掛けた男 ピーター・ハンソン著 松江 愛 訳 2013年 中央公論新社 刊 】
【 トランボとクレオ - 『「ローマの休日」を仕掛けた男』より 】
【 浴室で執筆するトランボ(本人)-上記同書より 】
【 トランボとクレオ - 上記同書より 】
「ハリウッド映画」というと、派手なアクション映画や荒唐無稽な架空世界の映画だったり、単に恐怖心を煽るホラー映画だったりするが(そのように思いがちで、そのような映画は見たいとも思わないが)、一方で、「ハリウッド・テン」の精神を受け継いで、自己の信念に従って地道な映画製作を行っている人がアメリカにも-「ハリウッド」の中にもいて沢山いるというのは頼もしい。
日本では今、報道機関やテレビ・マスコミに政府からの圧力が強まりつつあるが、【全ての人の口と目、耳を塞ぐ規制】には毅然とした態度をとらなければならないことを、この映画や書籍は教えてくれる。
『何度見ても新鮮-ローマの休日』-マイブログへ