【 2013年6月29日 】 京都シネマ
『息もできない』と同じ韓国の映画で、双方の主人公も不遇な境遇に生まれ、その後《借金の取立》を稼業とし社会の裏側で密かに生きているのだが、どこか違う。
現代の日本では到底許されない《過酷な取立》という点では同じだが、『息もできない』のほうは、《非道》な方法ではあるがかつての日本にもあったかもしれないという現実感があるが、『嘆きのピエタ』の方は、《非道》を通り越して《極悪な犯罪》以外の何物でもないような手段であり、実際にそんなことがあったのだろうか-仮に現在より未整備な社会であったにしても-《許された取立方法なのか》との疑問と非現実感を感じる。
別の言い方をすれば、『息もできない』の方は非常ではあっても、実際にあり得る「リアリティー」を感じるのに対し、『嘆きのピエタ』の方は、非現実的で、生活実感からかけ離れているという印象を受ける。
それが《借金の取立》という場面だけでなく、映画に登場する全ての人間関係にもあてはまる。暴力が日常的にはびこり、罵声が飛び交う中でも『息もできない』のサンフンと女高生のヨニ、あるいは父との間には《血の通った》人間関係が見えるが、『嘆きのピエタ』の人間関係は冷徹なロボットのような関係しか見えない。
だから、《知らざる母》が現れ、気持ちが変わっていくという過程も不自然でぎこちない。
だから、感動も得られなかったし、期待した割には、もう一つという感じだった。
『嘆きのピエタ』-公式サイト