久しぶりにすがすがしい後味の自然体の美しい文章に出会った。
三浦哲郎の「師・井伏鱒二の思い出」である。三浦哲郎が昨年なくなったことには気がつかなかった。
加藤剛と栗原小巻の映画が先だった。その後、原作の「忍ぶ川」で三浦哲郎の名前を知った。当時は新鮮な感覚の内容のほうに興味をもって、文章そのものに惹かれたわけではなかった。映画が公開されたころ「忍ぶ川」の反響で、その後別の作家から「忍ぶ糸」というのも書かれ映画にもなった。東北は遠かったけれど伊賀上野ならバイクで3時間もあったら行けたから、赤目四十八滝まで足を伸ばし、出かけたものだった。
三浦哲郎の名前からそんな事を思い返し、本を手にとった。
井伏鱒二の本は正直なところあまり読んでいない。はじめは、その風貌といい名前からしてずいぶん昔の人のように思えたが、割りと今に近い人と思ってから親近感があった。三浦哲郎が師と仰ぐ人であると知ったのはこの本を読んでからである。それでも、「黒い雨」との接点がどうしても結ばれない。
それはともかく、この本のページをくぐると、自然体の文章から井伏鱒二の人となりを髣髴させる。持つべきものは良き師と思う。
思いは、本書の「あとがき」で荒川洋治氏がほとんど語ってくれているから、ここではこれ以上語るのはやめよう。
どんな文章を書いていたんだろう。もう一度「忍ぶ川」を読んでみたくなり、探してみたが「忍ぶ川」も「忍ぶ糸」も家にはない。おそらく誰かに貸したまま、あるいは返してもらう意図もなく渡したままになっているのかもしれない。
もう、40年近くも前のことである。
三浦哲郎の「師・井伏鱒二の思い出」である。三浦哲郎が昨年なくなったことには気がつかなかった。
加藤剛と栗原小巻の映画が先だった。その後、原作の「忍ぶ川」で三浦哲郎の名前を知った。当時は新鮮な感覚の内容のほうに興味をもって、文章そのものに惹かれたわけではなかった。映画が公開されたころ「忍ぶ川」の反響で、その後別の作家から「忍ぶ糸」というのも書かれ映画にもなった。東北は遠かったけれど伊賀上野ならバイクで3時間もあったら行けたから、赤目四十八滝まで足を伸ばし、出かけたものだった。
三浦哲郎の名前からそんな事を思い返し、本を手にとった。
井伏鱒二の本は正直なところあまり読んでいない。はじめは、その風貌といい名前からしてずいぶん昔の人のように思えたが、割りと今に近い人と思ってから親近感があった。三浦哲郎が師と仰ぐ人であると知ったのはこの本を読んでからである。それでも、「黒い雨」との接点がどうしても結ばれない。
それはともかく、この本のページをくぐると、自然体の文章から井伏鱒二の人となりを髣髴させる。持つべきものは良き師と思う。
思いは、本書の「あとがき」で荒川洋治氏がほとんど語ってくれているから、ここではこれ以上語るのはやめよう。
どんな文章を書いていたんだろう。もう一度「忍ぶ川」を読んでみたくなり、探してみたが「忍ぶ川」も「忍ぶ糸」も家にはない。おそらく誰かに貸したまま、あるいは返してもらう意図もなく渡したままになっているのかもしれない。
もう、40年近くも前のことである。