今回は、ツアーでなく、往復の飛行機と現地のホテルがセットになった「個人旅行」で行くことにした。というのも、ツアーではイタリアなら必ずといっていいほどローマが入ってくるし、しかも観光するところはヴァチカンやらコロッセオ、スペイン広場など1度行ったところが多く、それも駆け足でせわしい。3回目のイタリアは、ローマをはずし、フィレンツェとまだ行ったことの無いベネツィアにしぼって行くことにした。
もちろん添乗員も現地での送迎サービス、アシスタントもなし。少し緊張したが、出費を少しでも減らすためには多少の冒険をしないといけない。
フィレンツェ3泊にベネツィア3泊、機内1泊で合計8日の日程である。
【2011年1月19日】
前日夕方まで仕事をして、1月19日朝7時起床。関空発が昼の12時すぎだから多少ゆっくり出来る。関空直行の乗り合いタクシーが定刻7:50に迎えに来る。いよいよ出発である。
10:30に関空の団体受付カウンターで、往復の航空券とホテルのクーポン、それとフェレンツェからベニスまでの鉄道の指定券を貰う。旅行が終了するまで自分で管理しなければならない。
往きの飛行機はパリのドゴール空港で乗継である。フィレンツェまで体と荷物が無事着いてくれるかどうか、12:35 ほぼ定刻に関空を離陸する。
【早速、機内サービスのワインをいただく】
イタリアと日本の時差は8時間である。パリに当日夕方の4時ころ着き、約2時間の乗継ぎ待ち時間があり、フィレンツェには晩の8時過ぎに到着の予定だ。2つの時計の内、1つをイタリアの現地時間に合わせる。
【シベリア上空を行く】
飛行機はほどなく日本海に抜け朝鮮半島の上空をすり抜けシベリア大陸に入る。初めての海外旅行で夜間飛行の窓から漆黒と厳寒の大陸にかすかな明かりが点々と灯るのを見て、「こんなところにも人が生活しているんだ。」と感慨を覚えたものだが、昼間の飛行にその興奮はない。今回はそのときのコースよりも南寄りを進んでいるように思う。
【なかなか沈まない太陽】
行けども行けども白い大陸が続く。太陽はといえばずっと同じ位置にあるように見える。夕暮れに向かって太陽を追いかけるように進んでいくのだから、なかなか日が暮れない。途中、一回夕闇の世界に入ってパリに入る前は再び太陽が輝く昼間の世界に。どうしてそうなのか考えたが、北極近くの高緯度を回る関係かなと思う。
変な時間の2回の食事でそのたびにワインをあけ、まどろんだり映画を見たりで、12時間の飛行を経てようやくパリに到着する。
パリのシャルル・ドゴール空港はどでかい空港で、広すぎて乗り継ぐのにやたら歩かされる。案内板を頼りに階段を上ったり、下りたりトンネルをくぐったりで、最後は空港内のバスに乗り、どうにか目的の搭乗口にたどり着く。
【パリからの乗り継ぎ便は小型機】
ここからフィレンツェまで約2時間の飛行である。乗り継ぐ飛行機はかなり小型で乗客に日本人の姿はほとんど見かけないし、アテンダントに日本人もいない。ちょっと不安を覚えたが、乗った便に間違いはなく、あと数時間すれば、フィレンツェに着けると思い、安堵の胸をなでおろす。
ところが『事件』はそのあとに起こった。フィレンツェに着くはずのその便が、どうしたわけかボローニャに着陸したのである。
そのことを知ったのは、空港前からタクシーに乗ろうとした時である。それまではまったく気がつかなかった。そういえば、機内のアナウンスで、「フィレンツェ」やら「ボローニャ」という単語が飛び交っていたのを思い出したが、そんな緊急事態が発生しているとは夢にも思っていなかった。JRの車内案内であるような「乗り継ぎ」の案内くらいに思い、聞き流していた。よく考えると、それもおかしな話ではあるが、次々にフランス語、英語、それにイタリア語が流れるが聞き取れるわけも無く、その時は深く考える事もなかった。
だいたい、飛行機を降りるときも、「オーボワール!」とか言ってほお笑むだけで、荷物を受け取るときもやたら待たされた以外、特別なことは無く、がらんとした通路を進むと関税も入国審査も無くいきなりタクシーの並んでいる空港の外に出てしまい、「え!これでいいの。」と戸惑うだけだった。そういえば、『シェンゲン協定』というのがあって、パリで乗り継いだ時、パスポートに入国のスタンプを押され、フランスに入国した形になっていたのを思い出した。
早速、タクシー乗り場で女性の運転手にホテルの所在を書いたメモをわたし、「ここに行ってくれ。」と伝えたときである。そこが『フィレンツェ』で無く『ボローニャ』であることを知ったのは。
そこに行くには、「200ユーロ以上かかる。」とはじめに言われた。「空港から市内のホテルまで行くのに、えっ!どうしてそんなに高いの。」と、片言の単語を交え、納得できないという顔をすると、「ここはフィレンツェではなく、ボローニャだ。」といって、タクシーのボディーに書かれた「ボローニャ」という文字を指し示す。確かにそこには『ボローニャ』と書かれている。一瞬、頭の中が真っ白になる。
親切にも、世話好きなおばさんの様なその女性の運転手さんは呆然自失の自分らにかわって次の手を考えてくれた。
「鉄道の時刻表を見てくるから、ここで車を見ておいてくれ。」と言い残して、空港の建物の中に入って行き、程なく戻ってくると、「23時過ぎのフィレンツェ行きの列車がまだ間に合うから。」といい、ボローニャ駅に行くことを勧める。躊躇っている余裕は無いから勧められるままにボローニャ駅に向かう。重い旅行鞄を引きずって切符売り場に急ぐ。窓口の向こうの年いった駅員に、「フィレンツェまで」と告げると、手を大きく横に振り、首も横に振る。発音が悪くて通じないのかと思い、もう一度言ってみたが、結果は同じ。「そんな馬鹿な」と思ってもどうにもならない。
仕方ないので200ユーロを払ってタクシーでフレンツェまで行く覚悟を決める。先ほどの親切なおばさんのタクシーを捜したがもういるわけも無く、タクシー乗り場に行く。変なのに引っかからないように親切そうな運転手を物色する。法外な料金を請求されたり、高額なおつりをもらえなかったりという話はイタリアではよく聞く。
人のよさそうな運転手の、掃除もろくにしていない1台に近寄り、
「フィレンツェまで160ユーロで行けないか。」と、持ちかける。というのも、先ほどのおばさんの運転手が160から200ユーロは掛かるといわれたので、その最低線で交渉してみようと思ったのである。すると、その運転手は首を横に振る。「それなら、200ではどうか。」と改めて問うと、メーターを指差して、「これが、決めるという。」
一応、めちゃくちゃな料金を請求される心配が無くなったと思い、フィレンツェまで行ってもらうことにする。
予想外の出費で高くつくが、これでどうやらフィレンツェにつけると思ったら気が落ち着いた。ところでこの運転手のおじさん、陽気でかなりマイペースなのである。いろいろ話しかけてきた挙句、途中寄り道をして、家族と称する女性を同乗させるのである。話の半分以上が理解できないのだが、要は「フィレンツェまでは一人で運転するのには遠いので、助手として家の者を連れて行って、帰り道はその助手に運転させるのだ」という。路地に車を停め、しばらくして暗がりから車の助手席に乗り込んできたのは、一回り以上は違うと思われる比較的若い女性だった。
家内に言わせると、「あれは絶対アイジン」だと。日本では考えられないことだが、そこはイタリアである。
途中、車の中からホテルに遅れる旨の電話を入れてもらい、あとは運転手に任せ、濃霧で10メートル先も見えないような山道を越えて、ようやくの思いで12時過ぎ、フィレンツェのホテルに到着する。チップを含め、210ユーロを運転手に渡す。いいお小遣いになったんだろうか。
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