柳生新陰流で知られる剣豪・柳生の里は奈良市の東北部、京都府との県境にあり日本の原風景が残る自然豊かな里である。ひっそりと隠れ里で独自の剣法を磨いていた柳生一族が世に出たのは、柳生石舟齋宗厳(やぎゅうせきしゅうさいむねよし)が徳川家康に無刀取りを披露し、その兵法、人を生かす「活人剣」の極意が認められ、その後、嫡子の柳生但馬守宗矩(たじまのかみむねのり)が家康、秀忠、家光三代にわたって指南役として仕え、将軍警護、相談役、諜報活動などの仕事を多岐にわたって尽力、徳川の右腕として活躍した。最盛期には一万二、五〇〇石の大名となり、大目付けの要職にもついた。
柳生家の祖先は、倒幕失敗で都落ちした後醍醐天皇に「南に頼るべき大きなくすの木があります」と大南公、楠木正成を紹介したと伝えられている。
柳生の里の見どころをご紹介しよう。
■旧柳生藩陣屋跡
柳生但馬守宗矩が、亡父・石舟斎宗厳の菩提を弔うために芳徳禅寺を建立、次いで正木坂の上に陣屋の建築を始め寛永19年(1642)に完成。その後宗冬が増築・整備をしたとある。しかし延享4年(1747)に全焼。仮建築のまま明治維新を迎え、柳生藩庁舎として使用されていたものの、その後公売された。現在は史跡公園として整備され礎石などの遺構が残っている。
■旧柳生藩家老屋敷・石垣
のどかな田畑を歩いていると立派な石垣が見えてくる。柳生藩家老・小山田主鈴の旧邸である。主鈴は国家老として江戸から奈良に移り、柳生藩南都屋敷を預かって藩政の立て直しに携わり、それを成功させた。65歳で隠居し、藩主より下賜されたこの地に屋敷を構えた。石垣は天保12年(1841)に尾張の石工が築いたもので、屋敷は嘉永元年(1848)に建てられた。主鈴は安政3年(1856)75歳の長寿をまっとうした。
その子孫は明治4年(1871)の廃藩置県後もこの地にとどまっていたが、昭和31年、後裔が奈良市内の大森町への引っ越しにともない土地の人の手に渡った。昭和39年に、作家の山岡荘八氏が買い取り、柳生宗矩を主人公にしたベストセラー小説「春の坂道」の構想を練ったといわれている。山岡氏の没後は奈良市に寄贈され、今は資料館として小山田主鈴や旧柳生藩に関する書物や使用した道具類、山岡氏の遺品などを展示している。
■柳生八坂神社
正木坂と陣屋の中ほどにあるのが、この柳生八坂神社、最近改修され本殿は鮮やかな朱塗り。拝殿はいかにも歴史を漂わせた奥ゆかしさを覚える。
■白梅と石仏
閑静な町並みの所々に姿を見せるのが、巨石に掘り込まれたお地蔵さんである。静かに凜と佇んでいる姿は、柳生剣の妙法に迫る不思議な気配を感じる。
■十兵衛杉
寛永3年、柳生十兵衛三厳が諸国探索に旅立つのに際し、先祖の墓参りに行ったときに植えたと伝えられている一本杉は、樹齢350年余が経っているが、無残にも落雷によって枯れていた。
■一刀石
芳徳禅寺から東南へ約700m行ったところの山中に神秘的な古社で巨石をご神体とする「天之岩立神社」(あまのいわだてじんじゃ)がある。その近くに剣の修行地だったといわれる一帯があり不思議な4つの巨岩が点在しており、その一つが「一刀石」である。天狗の爪跡という言い伝えもある岩だが、約7m四方の巨石で柳生石舟斎
が天狗だと思い一刀のもとに切り捨てた。翌朝、天狗の姿が消え中央から2つに割れた巨石だが残っていたという。
■疱瘡地蔵(ほうそうじぞう)
柳生から奈良市内に至る柳生街道の柳生側入口近くに、約3mの大きな花崗岩に浮彫りされた大磨崖仏で疱瘡よけを祈願して彫られたいうお地蔵さんがある。その名の由来は昭和44年にすぐ下の土の中から発見された時に顔の部分が剥落しており疱瘡にかかったように見えたからだそうだ。
お土産としては、山田錦を磨き抜いて造った大吟醸の地酒「春の坂道」が人気だ。また郵便局の近くにある小さな店に展示されている「柳生焼」も素朴で温もり感があっていい。
所在地:奈良市柳生町155-1。
交通:近鉄奈良駅2番出口から奈良交通バス柳生行き(所要時間49分)、柳生下車、徒歩5分。
柳生家の祖先は、倒幕失敗で都落ちした後醍醐天皇に「南に頼るべき大きなくすの木があります」と大南公、楠木正成を紹介したと伝えられている。
柳生の里の見どころをご紹介しよう。
■旧柳生藩陣屋跡
柳生但馬守宗矩が、亡父・石舟斎宗厳の菩提を弔うために芳徳禅寺を建立、次いで正木坂の上に陣屋の建築を始め寛永19年(1642)に完成。その後宗冬が増築・整備をしたとある。しかし延享4年(1747)に全焼。仮建築のまま明治維新を迎え、柳生藩庁舎として使用されていたものの、その後公売された。現在は史跡公園として整備され礎石などの遺構が残っている。
■旧柳生藩家老屋敷・石垣
のどかな田畑を歩いていると立派な石垣が見えてくる。柳生藩家老・小山田主鈴の旧邸である。主鈴は国家老として江戸から奈良に移り、柳生藩南都屋敷を預かって藩政の立て直しに携わり、それを成功させた。65歳で隠居し、藩主より下賜されたこの地に屋敷を構えた。石垣は天保12年(1841)に尾張の石工が築いたもので、屋敷は嘉永元年(1848)に建てられた。主鈴は安政3年(1856)75歳の長寿をまっとうした。
その子孫は明治4年(1871)の廃藩置県後もこの地にとどまっていたが、昭和31年、後裔が奈良市内の大森町への引っ越しにともない土地の人の手に渡った。昭和39年に、作家の山岡荘八氏が買い取り、柳生宗矩を主人公にしたベストセラー小説「春の坂道」の構想を練ったといわれている。山岡氏の没後は奈良市に寄贈され、今は資料館として小山田主鈴や旧柳生藩に関する書物や使用した道具類、山岡氏の遺品などを展示している。
■柳生八坂神社
正木坂と陣屋の中ほどにあるのが、この柳生八坂神社、最近改修され本殿は鮮やかな朱塗り。拝殿はいかにも歴史を漂わせた奥ゆかしさを覚える。
■白梅と石仏
閑静な町並みの所々に姿を見せるのが、巨石に掘り込まれたお地蔵さんである。静かに凜と佇んでいる姿は、柳生剣の妙法に迫る不思議な気配を感じる。
■十兵衛杉
寛永3年、柳生十兵衛三厳が諸国探索に旅立つのに際し、先祖の墓参りに行ったときに植えたと伝えられている一本杉は、樹齢350年余が経っているが、無残にも落雷によって枯れていた。
■一刀石
芳徳禅寺から東南へ約700m行ったところの山中に神秘的な古社で巨石をご神体とする「天之岩立神社」(あまのいわだてじんじゃ)がある。その近くに剣の修行地だったといわれる一帯があり不思議な4つの巨岩が点在しており、その一つが「一刀石」である。天狗の爪跡という言い伝えもある岩だが、約7m四方の巨石で柳生石舟斎
が天狗だと思い一刀のもとに切り捨てた。翌朝、天狗の姿が消え中央から2つに割れた巨石だが残っていたという。
■疱瘡地蔵(ほうそうじぞう)
柳生から奈良市内に至る柳生街道の柳生側入口近くに、約3mの大きな花崗岩に浮彫りされた大磨崖仏で疱瘡よけを祈願して彫られたいうお地蔵さんがある。その名の由来は昭和44年にすぐ下の土の中から発見された時に顔の部分が剥落しており疱瘡にかかったように見えたからだそうだ。
お土産としては、山田錦を磨き抜いて造った大吟醸の地酒「春の坂道」が人気だ。また郵便局の近くにある小さな店に展示されている「柳生焼」も素朴で温もり感があっていい。
所在地:奈良市柳生町155-1。
交通:近鉄奈良駅2番出口から奈良交通バス柳生行き(所要時間49分)、柳生下車、徒歩5分。