通称日野薬師とも言われる法界寺は、親鸞聖人、日野富子らが生誕した日野家の菩提寺で、弘仁13年(822)、藤原家宗が薬師如来を祀ったのが始まりで、永承6年(1051)、藤原氏の一族で文章博士(もんじょうはかせ)で後に出家した日野資業(ひのすけなり)が薬師堂を建立したのが始まりとされている。また、別の伝えもあり、藤原家宗が弘仁13年に最澄自作の薬師像を本尊とし、最澄を開基として一族の氏寺を建てたとするものもあるが、何れも定かではない。
日野は、「方丈記」の著者である鴨長明の住んだ地であり、親鸞の生誕地としても知られており、かつて山城国宇治郡日野と呼ばれたこの地は、日野氏の領地であった。
阿弥陀堂(国宝)は、鎌倉時代初期の建築で、承久3年(1221)の兵火で焼失後、間もない頃の建立と推定されている。方五間(正面、背面、両側面の柱間の数がいずれも五間)の堂の周囲に一間の裳階(もこし)をめぐらした形で、屋根は宝形造(ピラミッド形)で檜皮葺きである。
宇治の平等院鳳凰堂、岩手県の中尊寺金色堂、三千院の往生極楽院と並び平安貴族が夢見た極楽浄土を形にしたものとして貴重である。
内陣の柱や長押上の小壁には創建当時の絵画が残る。
壁画は47面あり、内陣長押上の小壁に描かれた23面(飛天図10面、楽器・仏具図5面、阿弥陀如来像8面)と、その上部の壁に描かれた宝相華文(ほうそうげもん)24面からなる。板壁でなく土壁に描かれた壁画として稀少なものである。また四天柱(仏壇周囲に立つ四本の柱)にも、金剛界曼荼羅の諸仏や、十二天、迦陵頻伽などの絵画が残っているが、剥落・褪色がはなはだしく残念である。
堂内には、平安時代の定朝様式の阿弥陀如来坐像(国宝・像高2.8㍍)が安置され、飛天の壁画(重要文化財)などで装飾されておりふくよかな童顔が心を和ませる。
本堂薬師堂(重要文化財)の本尊・薬師如来立像(重要文化財)は乳薬師と呼ばれ、安産、授乳の霊像として信仰されている。奈良県斑鳩町竜田にあった「伝燈寺」の本堂を移築したものといわれ、室町時代、康正2年(1456)の建築。「伝燈寺」については、斑鳩町の竜田神社付近にあったと伝えられている。
内部にはいると、お寺の人が阿弥陀像や壁画などを懐中電灯で照らしながら丁寧な説明をしてくれる。
所在地:京都府京都市伏見区日野西大道町19。
交通:京都市営地下鉄石田駅、徒歩20分。京阪バス「日野薬師」下車徒歩3分。
日野は、「方丈記」の著者である鴨長明の住んだ地であり、親鸞の生誕地としても知られており、かつて山城国宇治郡日野と呼ばれたこの地は、日野氏の領地であった。
阿弥陀堂(国宝)は、鎌倉時代初期の建築で、承久3年(1221)の兵火で焼失後、間もない頃の建立と推定されている。方五間(正面、背面、両側面の柱間の数がいずれも五間)の堂の周囲に一間の裳階(もこし)をめぐらした形で、屋根は宝形造(ピラミッド形)で檜皮葺きである。
宇治の平等院鳳凰堂、岩手県の中尊寺金色堂、三千院の往生極楽院と並び平安貴族が夢見た極楽浄土を形にしたものとして貴重である。
内陣の柱や長押上の小壁には創建当時の絵画が残る。
壁画は47面あり、内陣長押上の小壁に描かれた23面(飛天図10面、楽器・仏具図5面、阿弥陀如来像8面)と、その上部の壁に描かれた宝相華文(ほうそうげもん)24面からなる。板壁でなく土壁に描かれた壁画として稀少なものである。また四天柱(仏壇周囲に立つ四本の柱)にも、金剛界曼荼羅の諸仏や、十二天、迦陵頻伽などの絵画が残っているが、剥落・褪色がはなはだしく残念である。
堂内には、平安時代の定朝様式の阿弥陀如来坐像(国宝・像高2.8㍍)が安置され、飛天の壁画(重要文化財)などで装飾されておりふくよかな童顔が心を和ませる。
本堂薬師堂(重要文化財)の本尊・薬師如来立像(重要文化財)は乳薬師と呼ばれ、安産、授乳の霊像として信仰されている。奈良県斑鳩町竜田にあった「伝燈寺」の本堂を移築したものといわれ、室町時代、康正2年(1456)の建築。「伝燈寺」については、斑鳩町の竜田神社付近にあったと伝えられている。
内部にはいると、お寺の人が阿弥陀像や壁画などを懐中電灯で照らしながら丁寧な説明をしてくれる。
所在地:京都府京都市伏見区日野西大道町19。
交通:京都市営地下鉄石田駅、徒歩20分。京阪バス「日野薬師」下車徒歩3分。