いつもは蘭の花をはじめ多くの花が咲いているのだが・・・
気分転換に宇治市植物園に行った。子供連れやおばさまの一行、カメラ愛好家等々あつまっていた。大勢という感じては無い。途中のコンビニでタマゴサンドとおいしい牛乳を買ってピクニック気分。残念ながら長期休園ということもあり園芸担当の人たちも休んでいたのだろう花々はなく、勝手に咲いているものばかり。温室の花を中心に撮った。
ランチはバラの花の近くのベンチで一人ボッチ。
日差しがきつく歩いていると汗ばんできて生茶をゴクリゴクリ。長居をするつもりだったがお目当ての花たちが無いので、熱中症にならないために早めに帰宅した。それでも園内一回りで約4200歩にもなっていた。
館内の窓から鳶が・・・
緊急事態宣言は解除されたとはいえ、まだまだ後期高齢者には油断禁物。自粛を続けているが、暑いくらいの好天気、気晴らしに近くの市民の森へ。
先日も撮りにいったが光線の加減が今一だったので改めて。
先日は300㎜だったが引付が足りず今回は1000㎜の望遠を携えた。
4月の春祭りから活動を開始し、地域の各種イベント、介護老人施設出前演奏、市のイベント、わがタウン夏祭り、神社奉納太鼓などなど、今年は全てが中止となった。
7月から練習会場が開放される見通しであることから、それまでウェートトレーニングで筋力の衰えを防止。
9月の東日本大震災鎮魂祭が開催されるか微妙なところ。これが中止になると秋祭りもダメだろうし、来年1月の「世人式祝賀太鼓」まで演奏する機会がないかもしれない。
ただ練習さえ再開できれば張り合いがあるのだが。

メンバー達に櫓太鼓「八丈島太鼓」のお手本を披露





新人たちの指導中



白鷺の写真は昨年三条大橋の下で撮影。









ようやく昨日、情報紙の原稿が完成し、校正・校閲のため本社へ原稿を送り、一息ついたところ。
最近、ほとんどマクロレンズでの花のクローズアップ写真を撮らなくなったので、以前撮影したものを少しだけアップしました。












気晴らしにと洛西の吉峰寺へ緑を求めて出かけた。お寺だと越境でも車にいたずらされたりしないだろうと思った。このお寺は徳川綱吉の母・桂昌院と関わりが深いところでお手植えの枝垂れ桜が有名、JR東日本の「そうだ京都へ行こう」のポスターにも使用された。
やはり拝観者は少ない。まずはご本尊の観音さんへ祈願。写真を撮りながら奥の院の「薬師堂」へ、無病息災コロナ撃退を祈った。深い緑の中をくぐって気分も落ち着いた。
迷い道に入り込んだり、忘れ物が見つけられなくなったり、駐車していた愛車の停めていた場所が分からなくなったり、困惑している場面の夢が多くなった。
何事も前向きに朗らかに受け止め思慮する自分だが、こんな夢を見続けるということは、どこかにストレスを溜め込んでいるのかもしれない。
妻にそのことを話すと、ストレスに強いといっていても溜めてるのよ、写真を撮りに行くとか気晴らしをしないと身体に悪いわよ。それに良い記事も書けなくなるわよ。とまるで朝ドラの「おと」のように励ますのだ。
思わないようにしていてもやはりどこかプレッシャーをかけているのかもしれない。自粛休業等の影響で業界ニュースが無く編集が進まない、経営上の問題、感染への抑制心等々、気にしているのだろう。
パーッと気晴らしいでもと思うが、そうもいかず、さきほどから締太鼓のメンテナンスを始めた。4台の太鼓のボルトを全て緩め、ベランダ側の風通しのよいところに並べた。かなりボルトがきつく閉まっていて緩めるのも力が入った。レンチがはまるボルトとはまらないボルトもあり、ペンチを使ったり、スパナを使ったりで全て緩み終えた。今日は夕方まで放置して、次の練習までボルトを緩めたままに。練習日が迫ったときにまた締め直すとしよう。長胴太鼓や平太鼓、担桶太鼓など順次やっていこう。
<宇治和束町茶畑>




群青色に染まる夕空は久しぶりだった。これはカメラに収めておかねばとカメラを構えた。
おおむね原景に近いグラデーションで撮れた。そしてフランク永井の歌にある「赤い灯 青い灯 ともる街角に あの娘を捨てて 俺はゆく・・・」 が脳裏に浮かび、それをイメージにしてピントをはずしボケモードで撮った。これもうまくいった。




来週発行の情報紙の原稿と割付を印刷所へ宅配便で発送し、八幡市にある苺観光農園でパック売りの苺を2パック買い、その足で長岡京市の長岡天満八条が池へ車を走らせた。
名物の霧島ツツジが枯れるとその後を継いで躑躅が咲き誇る。池端には杜若がいまが盛りと咲いていた。人出はまばらで社会的距離を測ることも無くたっぷりとした距離感でそれぞれが見物。昼ご飯には帰宅した。