バス停「三宝寺」から周山街道(国道162号線)を少し北へ行くと、「三寳寺」と刻まれた石柱がある。そこを右手へ道なりに登って行くと、バス停からぶらぶらと歩いて五分ほどで黒塗りの冠門と出会う。
そこを入ると大黒像が迎えてくれる。右奥に本堂で、左奥に庫裡が見える。
当山は寛永5年(1628)右大臣菊帝(今出川)経季郷と中納言今城(冷泉)為尚後年彼は江戸に入り赤穂義士の大高源吾に吉良邸の茶会の日を教え討ち入りを助けたことで知られている。郷が後水尾天皇の御内旨を受け中正院日護上人を御開山に迎え建立された中本山で「金映山妙護国院三寳寺」の号は後水尾天皇より下賜され、爾来、大いに栄え塔頭寺院は12ヶ寺を数えた。
幕末維新の変動と堂上貴紳の東上等により一時衰微荒廃したが、昭和天皇の即位式(昭和四年)の建物一棟を下賜され本堂とし、妙見堂改築、大黒堂再建をはたし寺観を整え現在に至っている。
本堂内には日蓮大聖人、日朗上人、日像上人の御真骨が祀られている他、開山日護上人作の釈迦如来仏や多宝如来・日蓮大聖人・子育鬼子母神等が安置され、南側(表門の右手)に、茶室「松宝庵」がある。この茶室は、千宗旦の四天王の一人の山田宗偏(1627~1708)が若年の頃、当山塔頭で茶道の奥義を究め茶道宗偏流の流祖となった故事に由来し近年建てられたもの。
後年、宗偏は江戸に入り赤穂義士の大高源吾に吉良邸の茶会の日を教え討ち入りを助けたことで知られている。
「松宝庵」より遠くは伏見桃山城や京都市内が一望出来、騒々しい世界から緑と静けさが別世界へ導いてくれる。
境内には宝暦年間に京都御所菊亭家邸内より根分け移植された名桜「御車返しの桜」は、余りの美しさに帝が車を返したとの言い伝えによる。円山公園の枝垂れ桜と姉妹桜で、平成16年京都市より「保存桜」に指定された。また、境内の中心にある楊梅(やまもも)は樹齢や700年の古木で「御車返し桜」と共に「府民の木」に認定されている。
本尊三面大黒福寿尊天は伝教大師(最澄)の作で、日蓮聖人が比叡山遊学の折、開眼入魂の三面六臀の秘仏大黒尊天で60年に一度、甲子の年に御開帳されている。大黒尊天初講会や60日ごとの甲子祭は多くの信者で賑わうという。現在の御堂は平成七年に再建したもの。
当寺には「洛陽十二支妙見」の戌妙見大菩薩を祭祀しており、開運厄除け、方除け、寿福の神として親しまれ本堂背後の高台にある。この妙見宮へ参るために石段を登り始める。まず、「釈迦佛壱千体堂」で、開山日護上人の作とされる高さ約1.8㍍の釈迦仏坐像を安置。周囲には10㌢程の高さの釈迦仏立像千体が祀られている。「世継ぎの釈迦仏」ともいわれ、仏に願えば子が授かるととう。石段をさらに登ると本法寺から譲り受けた本法寺を開山した日親上人作の梵鐘を吊る鐘楼。さらに登ると、妙法経(法華経)守護の「三十番神堂」、そして三面六臀の秘仏大黒尊天を祀る「大黒堂」。
その上に豊臣秀頼、淀君、国松丸の供養塔で「縁結びの塔」と言われている石塔。妙見宮は、さらに石段を登りきったところにある。この石段の参道の途中、茶道宗偏流の流祖山田宗偏が若年の頃、使っていた茶室「四方庵」旧跡へのわき道がる。居住していた塔頭や茶室「四方庵」ともに無く、旧跡に十世山田宗偏家元によって記念碑が建てられている。
所在地:京都市右京区鳴滝松本町32。
交通:市バス8系統、JRバス「三寳寺」下車、徒歩約5分/市バス10、26、59系統「福王子」下車、徒歩約10。京福電車「高雄口」下車、徒歩約15。
そこを入ると大黒像が迎えてくれる。右奥に本堂で、左奥に庫裡が見える。
当山は寛永5年(1628)右大臣菊帝(今出川)経季郷と中納言今城(冷泉)為尚後年彼は江戸に入り赤穂義士の大高源吾に吉良邸の茶会の日を教え討ち入りを助けたことで知られている。郷が後水尾天皇の御内旨を受け中正院日護上人を御開山に迎え建立された中本山で「金映山妙護国院三寳寺」の号は後水尾天皇より下賜され、爾来、大いに栄え塔頭寺院は12ヶ寺を数えた。
幕末維新の変動と堂上貴紳の東上等により一時衰微荒廃したが、昭和天皇の即位式(昭和四年)の建物一棟を下賜され本堂とし、妙見堂改築、大黒堂再建をはたし寺観を整え現在に至っている。
本堂内には日蓮大聖人、日朗上人、日像上人の御真骨が祀られている他、開山日護上人作の釈迦如来仏や多宝如来・日蓮大聖人・子育鬼子母神等が安置され、南側(表門の右手)に、茶室「松宝庵」がある。この茶室は、千宗旦の四天王の一人の山田宗偏(1627~1708)が若年の頃、当山塔頭で茶道の奥義を究め茶道宗偏流の流祖となった故事に由来し近年建てられたもの。
後年、宗偏は江戸に入り赤穂義士の大高源吾に吉良邸の茶会の日を教え討ち入りを助けたことで知られている。
「松宝庵」より遠くは伏見桃山城や京都市内が一望出来、騒々しい世界から緑と静けさが別世界へ導いてくれる。
境内には宝暦年間に京都御所菊亭家邸内より根分け移植された名桜「御車返しの桜」は、余りの美しさに帝が車を返したとの言い伝えによる。円山公園の枝垂れ桜と姉妹桜で、平成16年京都市より「保存桜」に指定された。また、境内の中心にある楊梅(やまもも)は樹齢や700年の古木で「御車返し桜」と共に「府民の木」に認定されている。
本尊三面大黒福寿尊天は伝教大師(最澄)の作で、日蓮聖人が比叡山遊学の折、開眼入魂の三面六臀の秘仏大黒尊天で60年に一度、甲子の年に御開帳されている。大黒尊天初講会や60日ごとの甲子祭は多くの信者で賑わうという。現在の御堂は平成七年に再建したもの。
当寺には「洛陽十二支妙見」の戌妙見大菩薩を祭祀しており、開運厄除け、方除け、寿福の神として親しまれ本堂背後の高台にある。この妙見宮へ参るために石段を登り始める。まず、「釈迦佛壱千体堂」で、開山日護上人の作とされる高さ約1.8㍍の釈迦仏坐像を安置。周囲には10㌢程の高さの釈迦仏立像千体が祀られている。「世継ぎの釈迦仏」ともいわれ、仏に願えば子が授かるととう。石段をさらに登ると本法寺から譲り受けた本法寺を開山した日親上人作の梵鐘を吊る鐘楼。さらに登ると、妙法経(法華経)守護の「三十番神堂」、そして三面六臀の秘仏大黒尊天を祀る「大黒堂」。
その上に豊臣秀頼、淀君、国松丸の供養塔で「縁結びの塔」と言われている石塔。妙見宮は、さらに石段を登りきったところにある。この石段の参道の途中、茶道宗偏流の流祖山田宗偏が若年の頃、使っていた茶室「四方庵」旧跡へのわき道がる。居住していた塔頭や茶室「四方庵」ともに無く、旧跡に十世山田宗偏家元によって記念碑が建てられている。
所在地:京都市右京区鳴滝松本町32。
交通:市バス8系統、JRバス「三寳寺」下車、徒歩約5分/市バス10、26、59系統「福王子」下車、徒歩約10。京福電車「高雄口」下車、徒歩約15。