万葉歌人としても有名な志貴皇子(田原天皇・春日宮天皇)を祀る神社で宝亀2年(771)に創建。
奈良市街地から約4キロ来た北端、京都府との県境に近くに「奈良坂の氏神さん」として地域の人たちに信仰されている。大きな石灯籠と狛犬が印象的で、石の鳥居をくぐり、右手に鏡池を見ながら石畳を進むと拝殿へと続く。
正面の一段高い柵内に春日造りの三神殿がある。祭神は中央に、「産土の神・平城津彦神」(奈良豆比古神)、右側に「志貴皇子」(田原天皇・春日宮天皇)、左側に「春日王」(志貴皇子の子)。当社は20年毎に御造替(ごぞうたい)が行われ、戦時中も欠かすことなかったとう。
境内には、巨大な「児の手柏」(万葉の樹)の切り株がある。昭和27年(1952)枯れたが、樹齢千三百年もあったとう古木。更に本殿裏の境内地に楠木が立っており、奈良県の天然記念物に指定されている。根元幹周り約12・8メートル、樹高約30メートルもある巨樹で、千二百年前「田原天皇の子、田原太子(春日王)が療養のため、大木茂る平城山の一社に隠居さる」との伝説が残ってむいる。
能楽の古い形を残し、国の無形民俗文化財に指定(平成12年)されている翁舞(おきなまい)は、毎年10月8日に演じられる。志貴皇子(しきのみこ)の子、春日王(かすがおう)の病気平癒を祈願して舞ったのが始まりとされている。境内の舞台には、かがり火がたかれ、幽玄な雰囲気の中、舞が行われる。翁舞は、能や狂言が発達する以前の形式を残すもので、日本の芸能史のうえで極めて重要なもとされている。
同神社に伝わる二十面の内、能面「ベシミ」は室町初期(応永20年・1413)の銘をもつ最古のものである。その他、指定外ではあるが、室町から江戸時代にかけての能狂言面十九面などや能衣装が保存されている。
所在地:奈良県奈良市奈良阪町
交通:JR・近鉄奈良駅から奈良坂・青山住宅行バスで奈良坂下車、徒歩5分
奈良市街地から約4キロ来た北端、京都府との県境に近くに「奈良坂の氏神さん」として地域の人たちに信仰されている。大きな石灯籠と狛犬が印象的で、石の鳥居をくぐり、右手に鏡池を見ながら石畳を進むと拝殿へと続く。
正面の一段高い柵内に春日造りの三神殿がある。祭神は中央に、「産土の神・平城津彦神」(奈良豆比古神)、右側に「志貴皇子」(田原天皇・春日宮天皇)、左側に「春日王」(志貴皇子の子)。当社は20年毎に御造替(ごぞうたい)が行われ、戦時中も欠かすことなかったとう。
境内には、巨大な「児の手柏」(万葉の樹)の切り株がある。昭和27年(1952)枯れたが、樹齢千三百年もあったとう古木。更に本殿裏の境内地に楠木が立っており、奈良県の天然記念物に指定されている。根元幹周り約12・8メートル、樹高約30メートルもある巨樹で、千二百年前「田原天皇の子、田原太子(春日王)が療養のため、大木茂る平城山の一社に隠居さる」との伝説が残ってむいる。
能楽の古い形を残し、国の無形民俗文化財に指定(平成12年)されている翁舞(おきなまい)は、毎年10月8日に演じられる。志貴皇子(しきのみこ)の子、春日王(かすがおう)の病気平癒を祈願して舞ったのが始まりとされている。境内の舞台には、かがり火がたかれ、幽玄な雰囲気の中、舞が行われる。翁舞は、能や狂言が発達する以前の形式を残すもので、日本の芸能史のうえで極めて重要なもとされている。
同神社に伝わる二十面の内、能面「ベシミ」は室町初期(応永20年・1413)の銘をもつ最古のものである。その他、指定外ではあるが、室町から江戸時代にかけての能狂言面十九面などや能衣装が保存されている。
所在地:奈良県奈良市奈良阪町
交通:JR・近鉄奈良駅から奈良坂・青山住宅行バスで奈良坂下車、徒歩5分