《人の心に花一輪》
■誠実な思いやり
人間が人間として本質的に持たなければならない心のあり方、それは人を慈しむ心、思いやりであり、「人の心に花一輪、棘を残さず花を残せ」の精神です。中国の古典「論語」に書き記された話ですが、孔子が自らの生き方について「吾が道は一、以てこれを貫く」と弟子たちに説きました。弟子たちは「吾が道は一」という意味がわからず、孔子の高弟である曾子にその意味を聞くのです。曾子が言うには、「吾が道は一」とは、「忠恕(ちゅうじょ)」であると教えるのです。「忠」とは誠、誠実な心であり、「恕」とは慈悲深い思いやり。つまり「誠実な思いやり」という意味なのです。
「人の心に花一輪」とは、この誠実な思いやりを持って人と接し、自らの営業(商い)道としようということです。
お客様の心に一輪の花を残すような良い印象を与える思いやりの接し方は、今日のようなクロスセリングの市場にあって、ますます顧客に求められお客様の心を離さない人間関係のあり方なのです。
■人の喜ぶを我が喜びと為す
白雪姫の物語はよくご存じでしょう。美しいお妃さまが鏡に向かって「鏡よ鏡、世界中で一番美しいのはだ~~れ」と問いかける。鏡は自分の姿、心を映し出します。鏡に映し出されたお妃さまの美しい顔は虚栄心の高い魔女の顔だったのです。
さて物語の話から離れて、あなたの手のひらに「かがみ」と書いてみましょう。書いたら「かがみ」の真ん中の字を取ってみてください。何という字になりますか? そうです「かみ」になりますね。鏡に映し出す自らの心から「が=我」を取れば「かみ=神」の心になるのです。我を取る、それは「人の喜ぶを我が喜びと為す」、そんな自分になれるのです。
では、どうすればお客様に喜んでいただけるのか、何をお客様は望んでおられるのかを、絶えずお客様の要望に心を傾けなければなりません。気マメ、足マメに、いつまでもお客様に対して気配りを怠ってはなりません。
~お断り~
いつもお訪ね頂き、またご丁寧にコメントを添えて頂きました皆様に、心より感謝申し上げます。
暫くブログの更新とコメントへのご返信を控えさせていただきます。
来年には再開できるかと思いますが、この一年のご厚誼に厚く御礼申し上げると同時に佳き年をご健勝にてお迎えくださいますよう祈念しております。
有難うございました。
■誠実な思いやり
人間が人間として本質的に持たなければならない心のあり方、それは人を慈しむ心、思いやりであり、「人の心に花一輪、棘を残さず花を残せ」の精神です。中国の古典「論語」に書き記された話ですが、孔子が自らの生き方について「吾が道は一、以てこれを貫く」と弟子たちに説きました。弟子たちは「吾が道は一」という意味がわからず、孔子の高弟である曾子にその意味を聞くのです。曾子が言うには、「吾が道は一」とは、「忠恕(ちゅうじょ)」であると教えるのです。「忠」とは誠、誠実な心であり、「恕」とは慈悲深い思いやり。つまり「誠実な思いやり」という意味なのです。
「人の心に花一輪」とは、この誠実な思いやりを持って人と接し、自らの営業(商い)道としようということです。
お客様の心に一輪の花を残すような良い印象を与える思いやりの接し方は、今日のようなクロスセリングの市場にあって、ますます顧客に求められお客様の心を離さない人間関係のあり方なのです。
■人の喜ぶを我が喜びと為す
白雪姫の物語はよくご存じでしょう。美しいお妃さまが鏡に向かって「鏡よ鏡、世界中で一番美しいのはだ~~れ」と問いかける。鏡は自分の姿、心を映し出します。鏡に映し出されたお妃さまの美しい顔は虚栄心の高い魔女の顔だったのです。
さて物語の話から離れて、あなたの手のひらに「かがみ」と書いてみましょう。書いたら「かがみ」の真ん中の字を取ってみてください。何という字になりますか? そうです「かみ」になりますね。鏡に映し出す自らの心から「が=我」を取れば「かみ=神」の心になるのです。我を取る、それは「人の喜ぶを我が喜びと為す」、そんな自分になれるのです。
では、どうすればお客様に喜んでいただけるのか、何をお客様は望んでおられるのかを、絶えずお客様の要望に心を傾けなければなりません。気マメ、足マメに、いつまでもお客様に対して気配りを怠ってはなりません。
~お断り~
いつもお訪ね頂き、またご丁寧にコメントを添えて頂きました皆様に、心より感謝申し上げます。
暫くブログの更新とコメントへのご返信を控えさせていただきます。
来年には再開できるかと思いますが、この一年のご厚誼に厚く御礼申し上げると同時に佳き年をご健勝にてお迎えくださいますよう祈念しております。
有難うございました。