「古都逍遥 京都・奈良編」「花の詩」「日常のこと」や花や風景写真

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【高鴨神社】(たかかもじんじゃ)

2012年07月06日 23時51分22秒 | 古都逍遥「奈良篇」
 全国の鴨社の総本宮である高鴨神社を訪ねた。主祭神は「阿治須岐高日子根命」(あじすきたかねひこのみこと)で、その妹の「下照姫命」(したてるひめのみこと)と、下照姫の夫「天稚彦命」(あめわかひこのみこと)を祀っている。清和天皇貞観元年(859)に、大和の名社である大神神社や大和大国魂神社とならんで従二位の神階にあった本社の御祭神もともに従一位に叙せられた由緒ある社である。境内はひっそりと静まりかえっていて、高天原の古社らしい雰囲気が感じられる。

 「カモ」は「カミ」と同源であり「カモす」という言葉から派生し 「気」が放出しているさまを表しているという。当社の神域は鉱脈の上にあることも重なり 多くの「神気」が出ていることでも有名である。 
 弥生中期、鴨族の一部はこの丘陵から大和平野の西南端今の御所市に移り、葛城川の岸辺に鴨都波神社を祀って水稲生活をはじめ。また東持田の地に移った一派も葛木御歳神社を中心に、同じく水稲耕作に入り、そのため一般に本社を上鴨社、御歳神社を中鴨社、鴨都波神社を下鴨社と呼び、ともに鴨一族の神社である。

 『日本書紀』によると、八咫烏(やたがらす)が、神武天皇を熊野から大和へ道案内したことが記されており、それには神武・綏靖・安寧の三帝は鴨族の主長の娘を后とし、葛城山麓に葛城王朝の基礎をつくった。この王朝は大和・河内・紀伊・山城・丹波・吉備の諸国を支配するまでに発展したが、わずか九代で終わり、三輪山麓に発祥した大和朝廷は滅亡した。

 本殿は、室町時代の代表的建築で檜皮葺、天文12年(1543)に再建され、中央に唐破風を付けた三間社流造で重要文化財に指定されている。 東宮(県指定重文)は寛文12年(1672)、西宮は貞享2年(1685)にそれぞれ建立されたもの。 拝殿・本殿の付近は「撮影禁止」。

 当社には、現存している日本さくら草の殆どの品種約5百余種(2千数百株)が保存栽培されており、明治末期より、父子三代に亘って蒐集栽培してきたものを、昭和35年に先代宮司が京都の自邸より持ち運んで栽培したという。
 この花は絶滅危惧種にあり、現在さいたま市田島ヶ原の自生地などは国の特別天然記念物に指定され保護されている。
 4月~5月には、見事に咲き誇るという。また、サッカー日本代表のシンボルにもなっている霊鳥で、神武天皇を大和へ導いたとされる「八咫烏(やたがらす)」のお守りもあり、サッカーファンの参拝も多いという。

 所在地:奈良県御所市鴨神1110。
 交通:近鉄御所駅下車、近鉄バス風の森バス停より、徒歩5分。

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