社伝によれば、「瑞泉寺」(慈舟山)は高瀬川を開削した豪商・角倉了以が慶長16年(1611)に創建、寺名は、京都誓願寺の法主教山上人が関白豊臣秀次に贈った「瑞泉寺殿高巌一峰道意」の法名に由来し、「慈舟山」の山号は賀茂川と高瀬川の「二川」を運行する「高瀬舟」に因んだという。
高瀬川と平行して町屋が連なる木屋町通り、明治維新の激動の痕跡を数多く残すこの通りに、見逃してしまいそうな、悲劇を伝えている「瑞泉寺」がひっそりと佇んでいる。
寺内にはいると悲劇の関白秀次一族の資料が展示されており、悲惨な歴史跡が胸を締め付けられる。寺宝「秀次公絵縁起一巻」(太閣秀吉に謀叛の疑いをかけられてから一族の処刑に至る悲劇の顛末を記述したもの)と、「瑞泉寺絵縁起 四巻」(秀次の自刃から一族の死、そして角倉了以と瑞泉寺の建立に関わる縁起を記述)したものなど歴史上まれに見ぬ悲劇がそこに描かれている。
秀次一族の墓所や地蔵堂の引導地蔵尊と運命を共にした家臣や一族、49体の京人形が秀次公の無念さや悲惨さを感じる。
ご住職に話を聞くと、一族の遺体を全て投げ入れた刑場の大穴に四角推の塚が築かれ、その塚殺生塚の上に秀次公の御首を納めた「石びつ」を据え、三条大橋を渡る人々への見せしめとしたという。その「殺生塚」のあった位置に現在本堂が建っているとのこと。またその「石びつ」は墓所の中央に奉られている。
住所:京都市中京区木屋町通三条下ル石屋町114番地。
交通:交通:阪急電鉄河原町駅下、木屋町通りを北へ10分、京阪電鉄三条駅下車西へ、木屋町通り徒歩5分。
高瀬川と平行して町屋が連なる木屋町通り、明治維新の激動の痕跡を数多く残すこの通りに、見逃してしまいそうな、悲劇を伝えている「瑞泉寺」がひっそりと佇んでいる。
寺内にはいると悲劇の関白秀次一族の資料が展示されており、悲惨な歴史跡が胸を締め付けられる。寺宝「秀次公絵縁起一巻」(太閣秀吉に謀叛の疑いをかけられてから一族の処刑に至る悲劇の顛末を記述したもの)と、「瑞泉寺絵縁起 四巻」(秀次の自刃から一族の死、そして角倉了以と瑞泉寺の建立に関わる縁起を記述)したものなど歴史上まれに見ぬ悲劇がそこに描かれている。
秀次一族の墓所や地蔵堂の引導地蔵尊と運命を共にした家臣や一族、49体の京人形が秀次公の無念さや悲惨さを感じる。
ご住職に話を聞くと、一族の遺体を全て投げ入れた刑場の大穴に四角推の塚が築かれ、その塚殺生塚の上に秀次公の御首を納めた「石びつ」を据え、三条大橋を渡る人々への見せしめとしたという。その「殺生塚」のあった位置に現在本堂が建っているとのこと。またその「石びつ」は墓所の中央に奉られている。
住所:京都市中京区木屋町通三条下ル石屋町114番地。
交通:交通:阪急電鉄河原町駅下、木屋町通りを北へ10分、京阪電鉄三条駅下車西へ、木屋町通り徒歩5分。