今出川通智恵光院を北へ徒歩5分ほどの2筋目の上立売通を西に入ったところに北向山雨宝院がある。本隆寺の北塀に面して表門があるが、西門から入ると頭上は時雨の松に覆われいささか薄暗い。また、隠れた桜の名所として都人には知られている当院は、平安時代の弘仁12年(821)嵯峨天皇の病平癒を祈願し、智積院を本寺として空海(弘法大師)が大聖歓喜天像を安置した大聖歓喜寺が始まりで、その当時は境内は広大で千本五辻まであったという。
当院が西陣にあって本尊が歓喜天であることから、洛中では「西陣の聖天さん」として親しまれ、商売繁盛の神様としても参拝者が多い。
応仁の乱により堂宇ことごとく焼失、天正年間(1573~92)に雨宝院のみが再興された。
観音堂に安置されている漆箔の木造千手観音立像は、像頭人身六臂(ぴ)の等身像で、嵯峨天皇の御病平癒祈願に一刀三礼して造られたといい、藤原初期の重要な作風を示す秀逸で、国の重要文化財に指定されている。
この他、境内には不動堂、稲荷堂、庚申堂などが建ち並ぶ。また、境内南東にある「染殿井」は涸れることなく湧いている。染色に使うと良く染まるとされ、以前は西陣の染物関係者が水を汲みに来ていた井戸だそうだ。現在は清めの手水に使われている。この「染殿井(そめどのい)」は西陣5名水の1つに数えられている。(他は「千代井(ちよいの)」、「桜井(さくらい)」、「安居井(あぐい)」、「鹿子井(かのこい)」)。
また、本堂前の八重桜は「歓喜桜」で、御室(仁和寺)の桜と同じ品種という。その横で枝を張る松は、久邇宮朝彦親王が当院へ参拝された折、突然の雨にこの松の下で雨宿りされたことから、いつしか「時雨の松」と呼ばれるようになったという。
洛中きっての自然美に溢れた花の寺である。福寿草、椿、枝垂桜、八重桜、山吹、ボタン、ササユリ等など30種類ほどの四季折々の花が境内に植えられ野趣に富む。写真愛好家、スケッチ、俳人などの好むところとなっている。
境内は自由拝観できるが、堂宇の拝観は事前申込みが必要(075-441-8678)
所在地:京都市上京区智恵光院通上立売通上ル聖天町9-3
交通:市バス「今出川浄福寺」下車徒歩5分
当院が西陣にあって本尊が歓喜天であることから、洛中では「西陣の聖天さん」として親しまれ、商売繁盛の神様としても参拝者が多い。
応仁の乱により堂宇ことごとく焼失、天正年間(1573~92)に雨宝院のみが再興された。
観音堂に安置されている漆箔の木造千手観音立像は、像頭人身六臂(ぴ)の等身像で、嵯峨天皇の御病平癒祈願に一刀三礼して造られたといい、藤原初期の重要な作風を示す秀逸で、国の重要文化財に指定されている。
この他、境内には不動堂、稲荷堂、庚申堂などが建ち並ぶ。また、境内南東にある「染殿井」は涸れることなく湧いている。染色に使うと良く染まるとされ、以前は西陣の染物関係者が水を汲みに来ていた井戸だそうだ。現在は清めの手水に使われている。この「染殿井(そめどのい)」は西陣5名水の1つに数えられている。(他は「千代井(ちよいの)」、「桜井(さくらい)」、「安居井(あぐい)」、「鹿子井(かのこい)」)。
また、本堂前の八重桜は「歓喜桜」で、御室(仁和寺)の桜と同じ品種という。その横で枝を張る松は、久邇宮朝彦親王が当院へ参拝された折、突然の雨にこの松の下で雨宿りされたことから、いつしか「時雨の松」と呼ばれるようになったという。
洛中きっての自然美に溢れた花の寺である。福寿草、椿、枝垂桜、八重桜、山吹、ボタン、ササユリ等など30種類ほどの四季折々の花が境内に植えられ野趣に富む。写真愛好家、スケッチ、俳人などの好むところとなっている。
境内は自由拝観できるが、堂宇の拝観は事前申込みが必要(075-441-8678)
所在地:京都市上京区智恵光院通上立売通上ル聖天町9-3
交通:市バス「今出川浄福寺」下車徒歩5分