「古都逍遥 京都・奈良編」「花の詩」「日常のこと」や花や風景写真

 京都・奈良を中心に古刹・名刹や「花の詩」等の紹介。花や風景写真、オリジナルの詩、カラオケ歌唱など掲載しています。

2月最後の練習

2021年02月28日 21時00分18秒 | 和太鼓
 今日も楽しい練習ができて有難い。
仕事で昨日かなり無理したので腰に来ていて、いささかシンドかったですが皆さんと共に十二分楽しめました。
 いま、全員がまんべんなくポジションについて練習や舞台がつとめられるようにと配置を考慮中です。その一つとして勇駒の哲ちゃんの締、三宅島の担ぎ桶も取り入れてみました。限られた台数のなかで公平なキャスティングができるようにと考えています。どうぞ意をお汲み取り頂き今後とも頑張ってくださいね。
 太鼓を収納するトランクルームの件も自治会全額負担ということで、一件落着し、14年間我が家の一室を占領していた太鼓と台一式と鳴り物等々、我が家からお別れとなる。ということで次世代へ引き継ぎの段取りもつき私としては心平らかにしてリードすることができる。
 わがチームは睦ましく信頼しあったワンチームになっているのでそれが誇り。いろんな趣味の団体、チームがあるが吾がチームほど穏やかで互いの人格を尊重し合い、陰口をたたく人が誰一人としていない前向きなチーム。発足より25年、創部より24年目に入ったが、楽しいチームとして末永く存続できることを願ってやまない。
 今日は担ぎ桶太鼓を中心に指導。
























                   今日のおやつタイム

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何年ぶりかの創作意欲

2021年02月26日 10時59分05秒 | 和太鼓
 眠れない夜が明けたその一日、とうとう眠る時間もなく一日過ぎ24時間営業だった。
60代の頃までは麻雀で徹夜したことが度々あり、新聞の仕事について慣れないうちは寝ずに記事整理と割付作業をやったことがある。
昨今はそのようなこともなく最低6時間の睡眠はとっていた。
 徹夜明け、不思議と眠くなく夜の運転もできるほどだった。だけ後期高齢者ともなれば徹夜明けの運転は万が一ということもありすべきではなかった。反省!!
そして昨日の夜、構想巡らせていた担ぎ桶太鼓を使った「三宅島」が完成した。主となる長胴太鼓の三宅島は原曲のまま演じ、刺身のつまみたいなポジションで担ぎ桶太鼓を演じる。
パフォーマンスは沖縄のエイサーの演舞を取り入れた。中心に長胴太鼓を据え、後方に締太鼓でリズムリード、そして両袖に担ぎ桶太鼓を配置して祭り気分を添えるという演出に。
伝統太鼓「三宅島」に担ぎ桶太鼓を持ち込むというのはおそらく和太鼓団体初ということではなかろうか。大げさに綴ったものの、中身はさほど驚くべきパフォーマンスではないので、恥ずかしーーーーい。

 原曲を少しいじったという程度だが久しぶりの創作だった。
「日本太鼓財団」(旧日本太鼓連盟)から脱退し、地域活動団体として創部してあしかけ15年(通算23年)となるが、創部当初は太鼓連盟から受け継いだ伝統曲を演じていたが、3曲ほどしかなく、こればかりを叩いていると飽きてくる。そこでチームオリジナル曲が欲しいと思うようになり2010年から13年の3年間、創作に熱中した。10年に3曲創り編曲しながら曲を完成させていった。それから2年かけて小品曲も含め11曲を作曲。小品曲は2分程度の幼児・児童太鼓として、夏祭りや運動会応援合戦アトラクション用曲として。
 現在わがチームのスタンダードオリジナル曲として舞台演奏しているが、伝統曲は舞台最後の曲として披露し幕を降ろすということにしている。
 オリジナル曲の中で観客に受けがよいのが「子供の情景」と「饗宴」。「子供の情景」は子供たちが楽しく遊んでいる風景を表現したもので、中間曲の締太鼓が人気。
「饗宴」は7組の太鼓で、それぞれがソロを演じながら曲を繋いでいく手法を取り入れていて、チーム最長の曲目。ソロは演奏者が独自に編曲しても可ということにしており、その時の気分でリズムが異なったりする。
 そして今年で10年の節目となる東日本大震災、福島の朋友たちへの鎮魂と励ましのために創った「“絆”太陽と大地」。絆と大地と太陽があればきっと立ち直れるという思いを込めて演じている。
 そんなこんなでチームは成長してきたが、2013年以来、プッツリと創作意欲が途絶えていた。
 作曲って、突然、天から降ってくるがごとくメロディーが閃くものだが、ずいぶん長い間、閃かなくなっていたようだ。


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うォォォォォォ!!! 眠ターーーい

2021年02月25日 12時10分41秒 | 日常のこと&写真
うォォォォォォ!!! 眠ターーーい。
睡魔に襲われている。ほとんど寝不足。
 記事原稿に精を出しているものの突然コクンと頭が垂れ落ちる。キーを打ちながら寝てるのだ。学生時代は得意技だった瞬間居眠り。
 昨夜、床に就いてから思うところが多く寝つきが悪かった。グズグズしているうちに太鼓の編成やら曲想やらが次つぎと巡らしてきて、とうとう眠りに入ることが出来なかった。こんなときは寝るのをあきらめてしまい、どうにも眠くなるまで起きていることにしている。
 そんな中、伝統曲である「三宅島」にある思いが閃いた。もともとこの曲は三宅島の人が京見物にきたおり、祇園祭のお囃子の「コンコンチキチ コンチキチ」という鉦の音に心惹かれ、それを太鼓の音で表現したという言い伝えがある。
 コンツクドンツクコンドンツク コドンコドンドンコドドコドンドンという音で表現したものだという。
 そういう思いをただ力強さを表現するだけでもなかろうと想像を巡らせたのだ。
 私が閃いたのは祇園祭がヒントだとしたら祭太鼓として欠かせない桶太鼓で何か祭り気分を表現できないかという思いだ。
 だがしかし、単純に桶太鼓で気分を高揚させるという手法では受け継がれてきた男太鼓のイメージを損なうことにもなるので、うむ~~~どうしたものか。と思い始めると眠れなくなったというわけだ。
 ということで「三宅島」に担ぎ桶を取り入れる手法として、基礎打ちを沖縄の「エイサー」風にして演じる。これだと力強さと祭りらしさが加味される。
 等々思い巡らせて気が落ち着いた朝方、京阪電車の始発が走り抜けるころウトウトと眠りに入った。


                 「鉦」チャンチキ


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松花堂の椿園

2021年02月23日 14時34分50秒 | 椿
 来週発行の原稿を印刷所へ宅配便で出した後、八幡市にある「松花堂」の庭園の椿園を訪ねた。
ここは良く行くところで、満開にはまだ早いが久しぶりに花の写真を撮りたくなり出向いた。
松花堂弁当の発祥でもある松花堂昭乗は、書家、陶芸家、蒔絵師、茶人でもある本阿弥光悦(江戸時代初期)とも交流があった茶人・文化人でもあった。
その書院や茶室が京都府八幡市にある。
 今日は昨日とうってかわって寒かったが、梅や椿は生き生きと花開かせていた。







































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いつも今が始まり、一瞬懸命(その11)

2021年02月22日 00時20分54秒 | いつも今が始まり(生き方論)
「一燈をさげて闇夜を行く。闇夜を憂うることなかれ。ただ一燈を頼め」
 
 明治維新を成し遂げた志士たちの、その志しの根底をなした精神に』…「一燈をさげて闇夜を行く。闇夜を憂うることなかれ。ただ一燈を頼め」(言心録)という名言がある。
その一燈とは何か。それは「自らの理想に燃える信念」である。
大競争のグローバル時代、アゲインストの風の中でそれを嘆いていてもはじまらない。一途な信念がある者はいかなる逆風であろうと、その願望を成就することができるものだ。そのベクトルの力は「よし!やろう」、この思いに他ならない。

自らの一燈を頼り、生涯を貫いた事例がある。
 京都府宇治市の郊外、妙高峰の裾野に所在する黄檗派禅宗の大本山「萬福寺」がある。
そこの宝蔵院に鉄眼禅師の一切蔵経版木が重要文化財として保管されている。
中国明版の経・律・論の三蔵聖教を基にして、版木6万枚、経典2千数百冊にも及ぶ膨大な版木である。
 鉄眼は明の聖教を学ぶためには、いちいち写経をしなければならない現状を憂いて多くの修行僧や民衆のために版木を制作し、広く普及させねばならないと考えた。そしてそれが自らの務めだと心に誓うのだ。
 
 「黎明がうっすらと東山(京都)の稜線を映し出すころであった。
 粟田口にみすぼらしい一人の僧が、白い息を吐きながら佇んで居る。
 春の盛りではあるが、薄衣と素足の出で立ちではいささか寒さが堪える時節である。
 人ひとり通るはずのない時刻であったが、その僧は身じろぎもせずただ黙して佇んでいる。
 いっときも経ったであろうか、ようやく朝霧があがりはじめるころ、静寂をついてひたひたと急ぎ足で近づいてくる人の気配がした。
その人影がぼんやりと識別できるほどに近づいてきたのを見ると、歳のころ三十路を過ぎたで武士であった。
僧は侍を呼び止め「ご喜捨をお願い申す」と声をかけた。
侍は一見乞食坊主のようなみすぼらしい姿に、物乞いと思い「急ぎ申す」と目もくれず立ち去ろうとするのである。
しかし僧は侍の後を五間ほどあけて追うようについて行くのである。
侍は僧を振り返りながら「喜捨はできぬ、立ち去らぬか」と吐き捨てて、また急ぎ足で行くのだが、しかしなおも僧は侍の後を追い続けた。
「しつこい奴じゃ。喜捨はできぬと申したではないか。」
僧は聞こえてか聞こえないのか諦める様子もなくひたすらついて行くのだった。
侍はいささか感に障った様相にて「拙者には喜捨する金など持ち合わせてはおらぬが、何故に拙者の後をつけてくるのじゃ」と睨みつけるように尋ねた。

「拙僧には心に堅く誓った思いがございますれば、今朝より粟田口に立ち申しました。
この一念を持ちたる日に、初めてお会いするお武家さまに喜捨を断られれば拙僧の心が挫けてしまうかも知れないのです。
恐れ多いことと承知しているのではございますが、一文なりともご喜捨をお願い申し上げたくついて参ったのでございます」
 侍はその僧のただ事ではない覚悟のほどを察し、その存分の子細を聞き出し感服し、喜捨をするのである。
 このみすぼらしい僧こそが鉄眼禅師その人である。
 これより17年の歳月をかけ諸国を托鉢行脚に身を投じ、版木制作の資金を集め、世に名高い「鉄眼の一切経」蔵版木を完成させたのである。

 鉄眼の一燈とは「世のため人のため」となる「利他」の志しであった。
「一燈を持つもの暗闇を恐れることはないのである。
 強き志しのある者は、先行きの見えない闇の中であろうが、不透明な霧の中であろうか、わが目指す道を見失うことはない。」


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「いつも今が始まり はじめに言葉ありき」 (その10)

2021年02月15日 22時22分04秒 | いつも今が始まり(生き方論)
 口から言葉として解き放たれたら、もうその「言葉」は元には戻らないものだ。
 聖書に「はじめに言葉ありき。言葉は神とともにあり。言葉は神なり。よろずのもの、これによりて成る。」(『新約聖書』-ヨハネによる福音書)
 日本にも「言霊」と云って言の葉には神が宿るものとされてきた。
 今回の森会長が放った言葉は、たとえそれが引用として使われたものであっても、マスコミに切り取られた一言であったとしても、慎重さが必要ではなかったろうか。会長、いや元会長の実績・功績に対し敬意を表するに値するものがあるにせよ、それだけの実績を積む人が軽々に発する言葉ではなかっただろう。
 後任の選任で透明性、透明性と叫ぶが、人事について硝子張りにすることもできないだろう。「この人が適任」「いやその人はこんな性格もある」「あの人はどうだろう」等々をガラス張りにて論じ合えば、選任される段階で人格までも丸裸にされかねない。人事選考は不透明でなければ個人の尊厳にかかわることにもなる。
 いずれにしても、人の上に立つ人、リーダーになる者は「言葉」という曲者に警戒せねばならない。「言葉は神」と思い神の言葉で愛をもって語らねばならないだろう。放たれた言葉の重要性を理解していない者は人の上に立つべきではない。


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2月1回目の練習

2021年02月15日 00時12分52秒 | 和太鼓
2月1回目の練習日。
前回と同様に「うねり」から練習に入った。どうも締めと長胴とのタイミングがあわず繰り返し練習、なんとかピッチが揃うようになったが、もう少しというところか。
 あとはいつものような曲目のおさらいを。饗宴では哲平くんが新たなリズムで挑戦、これが良かった。みんなで拍手。新人の指導は基礎を徹底してくりかえしている。少し左肩が下がり気味なのでそれも矯正しながら姿勢の歪みも正していくようにしている。お陰で肩こりもなくなってきたと喜んでいた。
 予定通り16時15分で切り上げた。










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末の孫娘の作品展を見に

2021年02月13日 21時51分52秒 | 日常のこと&写真
今日は次女に誘われて5番目の末孫の作品展を「京都みやこめっせ」に見に行った。
芸大主催の「K展」で、提携企業と生徒たちの作品がブースごとに展示されている。
生徒たちの作品は提携企業によって商品として市場に出ているのだが、さすがに優秀作品ばかりだった。
孫娘の作品はジュエリーと絵手紙の二つ。店頭販売もされており孫娘のイアリングも売れていた。
コロナが流行し始めた昨年今頃、東京池袋のアクセサリーを扱う会社から作品を店舗で扱いたいとの依頼があり、コロナが落ち着いたらということになっている。
 展示会を見終えて、久しぶりに娘と3人でランチを。一度行ってみたかった京都のおばんざい蕎麦店、ロームシアターの近くにある。久しぶりに楽しいひと時が持てた。


                 みやこめっせ展示会場













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孫娘の離島での初仕事

2021年02月13日 00時25分12秒 | 日常のこと&写真
 先月、沖縄の八重山諸島の離島のリゾートホテルが、サービスで提供している「ヨガ」のインストラクターとしてヘッドハンティングされて行った孫娘からLINEで便りが送られてきた。元気で初仕事をしたようだ。
 美容ヨガを生業とする全国ネットの企業に3年間勤務し、修行を積んでいた3番目の孫娘が元先輩同僚が勤めているリゾートホテルを通して誘いを受けたもので、都会の忙しなさと人間関係のわずらわしさから逃れ、自然を満喫したいと決心したことによる。前勤務先でもナンバーワンの人気で指名も最多であったこともあり先輩に目を付けられていたようだ。
 第一回目の便りでは、初仕事は海を見渡す「サンシャインヨガ」の指導、そして今日は「マタニティヨガ」をしたとのこと。マタニティのお客もくるらしい。
 島の海、夕陽が綺麗だ。
 ホームシックになっているようだが、ホテルのスタッフからも親切にされて気持ちは落ち着いているという。








 

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Ado うっせぇわ

2021年02月11日 10時17分49秒 | 日常のこと&写真
マンションのエレベーターに乗り込むと搬出搬入のためにエレベーター壁面に養生板が張り付けてあった。
 側面を何気なく見ていると「うっせぇわ」と落書きされていて漫画チックな絵も描かれてある。
 リホーム工事をしているお宅があり、その工事の音がうるさくて、そう落書きしているのかな? と思っていた。
 ところが今朝、その「うっせぇわ」の落書きの意味が分かった。それはいま幼児までもが歌い踊り大流行している「Ado うっせぇわ」の歌のタイトルだった。
 そんな話を妻としていて「どんな歌か聴いてみたいね」ということでYouTubを開き検索。聴いてみるとなかなか面白いのだ、リズム感もあり、内容も若者の気持ちを素直に表しているかなと思える言葉が次々に・・・。なによりもスゥングジャズの要素を取り入れたようなリズム心地よく知らぬうちに身体が揺れている。印象に残るメロディーラインに妻と「これはいいね」と・・・。
 昨年大流行した「香水」はもう忘れ去られ、今は「うっせぇわ」が大流行しているようだ。
 つっぱっているような若者、でも立派に常識をわきまえているんだよ、自分らの心は健康なんだよ、ぶくぶくと太った中年の大人たちよグスグスいうなよ「うっせぇな」ということか。
https://www.youtube.com/watch?v=Qp3b-RXtz4w


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