花言葉「愛らしさ」
沙羅双樹といえば、すぐ頭に浮かぶのが、平家物語の序にある「祇園精舎」である。
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす。おごれる人も久しからず、唯春の夜の夢のごとし。たけき者も遂にはほろびぬ、偏に風の前の塵に同じ。」
実に見事な文章である。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす・・・、その真理を知りたくなって京都で最も沙羅双樹が名高い妙心寺の東林院を訪ねてみた。閑静な小庭に沙羅双樹が凛として立ち、苔むした庭の上に落ちこぼれた白い花弁が、そこはかとなく哀れを誘う。境内の片手隅から琵琶の調べが今にも聞こえてそうな、侘びの心境にひたっていた。「・・・このゆゑに、維摩大士(ゆいまだいし)は玉体を方丈に疾(や)ましめ、釋迦能仁は金容(こんよう)を雙樹(さうじゅ)に掩(かく)したまへり・・・」(山上憶良)
「・・・それ故に維摩大士は尊い体を方丈の部屋に横たえられたし、釈迦如来は
貴いお姿を沙羅双樹のり中にお隠しになられた・・・。(矢富巌夫 訳」)
「山のあらし 一夜ふきつつ 砂のへに 白く落ちたる 沙羅双樹の花」(斎藤茂吉)
平家物語の正確な成立時期は分かっていないものの、1240年に書かれた平信範の日記に「兵範記」に「治承物語六巻号平家候間、書写候也」とあるため、それ以前に成立したと考えられている。
原形とされる三巻本は作者不明で現存していない。作者説として最古のものは吉田兼好の「徒然草で、信濃前行司行長(しなののぜんじゆきなが)なる人物が平家物語の作者であり、生仏(しょうぶつ)という盲目の人間に教えて語らせたことが記されている。その他にも、生仏が東国出身であったので、武士のことや戦の話は生仏自身が直接武士に尋ねて記録したことや、更には生仏と後世の琵琶法師との関連まで述べている。この行長は、九条兼実に仕えていた家司で中山(藤原氏)中納言顕時の孫である下野守藤原行長ではないかと推定されている。
現存している諸本としては、盲目の僧として知られる琵琶法師が日本各地を巡って口承で伝承してきた語り本の系統(語り系。また当道系とも)に属するものと、読み物として増補された読み本系統(増補系。また非当道系とも)のものがある。
語り本系は、城弦(城玄)を祖とする八坂流(城方流)に伝承されるものと、如一を祖とする一方流の明石覚一によって南北朝時代にまとめられたものとに分けられる。八坂流諸本は、平家四代の滅亡に終わる、いわゆる断絶平家十二巻本系である。「八坂本」「屋代本」「百十二句本」がある。一方、一方流諸本は壇ノ浦で海に身を投げながら助けられ、出家した平徳子、建礼門院による念仏三昧の後日談や侍女の悲恋の物語である「灌頂の巻」を最後に加えた十三巻本である。
沙羅双樹といえば、すぐ頭に浮かぶのが、平家物語の序にある「祇園精舎」である。
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす。おごれる人も久しからず、唯春の夜の夢のごとし。たけき者も遂にはほろびぬ、偏に風の前の塵に同じ。」
実に見事な文章である。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす・・・、その真理を知りたくなって京都で最も沙羅双樹が名高い妙心寺の東林院を訪ねてみた。閑静な小庭に沙羅双樹が凛として立ち、苔むした庭の上に落ちこぼれた白い花弁が、そこはかとなく哀れを誘う。境内の片手隅から琵琶の調べが今にも聞こえてそうな、侘びの心境にひたっていた。「・・・このゆゑに、維摩大士(ゆいまだいし)は玉体を方丈に疾(や)ましめ、釋迦能仁は金容(こんよう)を雙樹(さうじゅ)に掩(かく)したまへり・・・」(山上憶良)
「・・・それ故に維摩大士は尊い体を方丈の部屋に横たえられたし、釈迦如来は
貴いお姿を沙羅双樹のり中にお隠しになられた・・・。(矢富巌夫 訳」)
「山のあらし 一夜ふきつつ 砂のへに 白く落ちたる 沙羅双樹の花」(斎藤茂吉)
平家物語の正確な成立時期は分かっていないものの、1240年に書かれた平信範の日記に「兵範記」に「治承物語六巻号平家候間、書写候也」とあるため、それ以前に成立したと考えられている。
原形とされる三巻本は作者不明で現存していない。作者説として最古のものは吉田兼好の「徒然草で、信濃前行司行長(しなののぜんじゆきなが)なる人物が平家物語の作者であり、生仏(しょうぶつ)という盲目の人間に教えて語らせたことが記されている。その他にも、生仏が東国出身であったので、武士のことや戦の話は生仏自身が直接武士に尋ねて記録したことや、更には生仏と後世の琵琶法師との関連まで述べている。この行長は、九条兼実に仕えていた家司で中山(藤原氏)中納言顕時の孫である下野守藤原行長ではないかと推定されている。
現存している諸本としては、盲目の僧として知られる琵琶法師が日本各地を巡って口承で伝承してきた語り本の系統(語り系。また当道系とも)に属するものと、読み物として増補された読み本系統(増補系。また非当道系とも)のものがある。
語り本系は、城弦(城玄)を祖とする八坂流(城方流)に伝承されるものと、如一を祖とする一方流の明石覚一によって南北朝時代にまとめられたものとに分けられる。八坂流諸本は、平家四代の滅亡に終わる、いわゆる断絶平家十二巻本系である。「八坂本」「屋代本」「百十二句本」がある。一方、一方流諸本は壇ノ浦で海に身を投げながら助けられ、出家した平徳子、建礼門院による念仏三昧の後日談や侍女の悲恋の物語である「灌頂の巻」を最後に加えた十三巻本である。