「ふりかえる 秋篠寺の やぶかげの
椿の花は みなもの言へり」(小野興二郎)
春の木ツバキはもともと霊木とされてきた神聖な木であった。
日本書紀に、九州遠征中の景行天皇が、豊後の来田見村(大分県久住)で土蜘蛛を平定する時、ツバキの木で槌を作り、それを兵に仕立てたことが記録されている。
そのツバキの兵を土蜘蛛に差し向けると、土蜘蛛はたちまち平定されたと言う。
天武5年4月、大和国添下郡の吉事と言う人が宮中に瑞鶏を贈った。その鶏は、とさかがツバキの花の形をしたというめでたい鶏であった。また古事記には、天皇をツバキの美しさに例えて賀ぐ歌詞がある。
「葉びろ 斎(ゆ)真椿 其(し)が花の 照りいまし
広(ひろが)りいますは 大君ろかも (仁徳記)
神聖な椿の花の耀くように顔色が美しく、葉が広がっているようにくつろいでいる大君よと讃美している。
「巨勢山の つらつら椿 つらつらに
見つつ偲はな 巨勢の春野を」(坂門人足)
椿の花は みなもの言へり」(小野興二郎)
春の木ツバキはもともと霊木とされてきた神聖な木であった。
日本書紀に、九州遠征中の景行天皇が、豊後の来田見村(大分県久住)で土蜘蛛を平定する時、ツバキの木で槌を作り、それを兵に仕立てたことが記録されている。
そのツバキの兵を土蜘蛛に差し向けると、土蜘蛛はたちまち平定されたと言う。
天武5年4月、大和国添下郡の吉事と言う人が宮中に瑞鶏を贈った。その鶏は、とさかがツバキの花の形をしたというめでたい鶏であった。また古事記には、天皇をツバキの美しさに例えて賀ぐ歌詞がある。
「葉びろ 斎(ゆ)真椿 其(し)が花の 照りいまし
広(ひろが)りいますは 大君ろかも (仁徳記)
神聖な椿の花の耀くように顔色が美しく、葉が広がっているようにくつろいでいる大君よと讃美している。
「巨勢山の つらつら椿 つらつらに
見つつ偲はな 巨勢の春野を」(坂門人足)
水仙…花言葉「自己愛」
(花の詩集)新川和江 ワーズ・ワース/前川俊一訳
谷や丘の上を漂う雲のように 私はひとりさまよい歩いていた。そのときふと目にしたのは 金色の水仙の大群が湖のほとり、木立の下で そよ風におどるさま。
銀色にひしめいて ひかりまたたく星屑のよう彼等は入り江のふちにそって 目路のかぎりつらなっていた。
一目見てざっと一万の花が 頭をふり立て陽気におどっているのだ。
まわりの波もおどっていた。しかし彼等の歓びようは きらめく波を上回っていた。
このように楽しげな連中に出逢っては 詩人も心うかれざるを得ない。
私はただ見とれていたが、その眺めがどのような富を私にもたらしたか、気づかなかった。
というのは、茫然と、また思いに沈んで 臥しどに身を横たえるとき
彼等は孤独のよろこびである 内心の眼にひらくのだ。
すると私の心は歓びにあふれ 水仙とともにおどるのだ。
(花の詩集)新川和江 ワーズ・ワース/前川俊一訳
谷や丘の上を漂う雲のように 私はひとりさまよい歩いていた。そのときふと目にしたのは 金色の水仙の大群が湖のほとり、木立の下で そよ風におどるさま。
銀色にひしめいて ひかりまたたく星屑のよう彼等は入り江のふちにそって 目路のかぎりつらなっていた。
一目見てざっと一万の花が 頭をふり立て陽気におどっているのだ。
まわりの波もおどっていた。しかし彼等の歓びようは きらめく波を上回っていた。
このように楽しげな連中に出逢っては 詩人も心うかれざるを得ない。
私はただ見とれていたが、その眺めがどのような富を私にもたらしたか、気づかなかった。
というのは、茫然と、また思いに沈んで 臥しどに身を横たえるとき
彼等は孤独のよろこびである 内心の眼にひらくのだ。
すると私の心は歓びにあふれ 水仙とともにおどるのだ。