田舎人の徒然日記

退職後を故郷で暮す1948年式男の書き散らし

世の中、いろいろあります

2015-05-16 | 日々の暮し
 昨日は沖縄返還の日だった。アメリカにとって沖縄は地理的に対中国戦略上の重要位置にある。一方、遠く離れた沖縄を使うには経費がかかる。そこで、日米同盟関係の維持強化、沖縄における米軍基地の存続とその使用を条件に沖縄を日本に返還するということにしたのでは。日本の政権党にとっては「沖縄本土復帰」は歴史的成果として政治史に残ることになる。それぞれの思惑が大小あっても一致したということかも。が、基地をかかえる沖縄の苦悩は解消されないままだ。普天間、辺野古、どうなる。軍用機の爆音のない空はどうしたら取り戻せるのか。

 それほど大きいとは思わないが明日は大阪が「都」に向かうかどうかの住民投票日だ。これも大阪市にとっては「転換点」となる「日」である。大阪に住む者ではないが近県なので気になる。鉄道関係などで何かの影響があるやも知れない。


〔残した昔の井戸。今後、負担にならねばいいが(画像クリックで拡大)

 我が敷地に昔ながらの井戸がある。家を改装するときに先祖の苦労の証として残した。埋めればよかったのにとの声も聞くが、災害の時の水は確保できるよ。子どもの頃、この井戸の縁でイモや野菜を洗い、スイカを冷やし、時に鍋を落とし、爺さんが怒りながら「イカリ」のようなものをロープにつけて回収していた記憶がある。残したい我が想い出の井戸だが、カミサンにとっては、「それがどうしたナンジャラホイ」。井戸の蓋に植木鉢を並べておる。水の神様がおられるかも知れぬのに、無礼者、不届きな奴だ。再び、痛くも痒くもない厳重注意処分が必要だ(思い切って玄関前、はりつけの刑にしたら逮捕されるやろな。逮捕される前に、玄関前で殴られ倒されてるかも分からんな)。


〔植木鉢のオリーブに花が咲いた(画像クリックで拡大)

 井戸の横で鉢植えのオリーブが花を咲かせている。カミサン、無茶苦茶嬉しそうだが、そんなもんかいね。
 ワシャ、夜の会議に行ってくるぜよぅ。

目線を変える

2015-05-15 | 日々の暮し

〔サルスベリの壮木(そういう言葉があるなら)(画像クリックで拡大)

 カメラを地面に上に向けておいてシャッターを切ると、地を歩く蟻たちの見上げる世界が見える。小さな木も巨木となる。見る視点によって世界は違って見える。

 国会に提出された安全保障法案。かっての戦争で家族の多くを失った者にとっては複雑な心境だ。最後は誰のために死ぬ覚悟を。 自衛隊で働く人たちの家族にとっては極めて身近な日常的問題となる(国を守るのは等しく国民だが)。国防強化をを煽る者たちは、自ら率先して戦闘地域へ行って範を示せ。安全な場所に身を置いてあれこれ偉そうなことを言うな!と、、、愚痴りたい。

 国とは何だろう。


〔シラカシの幼木(画像クリックで拡大)


「安全保障」は安全か

2015-05-14 | 日々の暮し

〔カスミソウの周りは草だらけ(画像クリックで拡大)

 政府は今日の午後、閣議で「安全保障」関連法案を決定した。法案は昨年7月の憲法「解釈変更」という行為を基に集団的自衛権の行使を可能とすることが柱になっている。自衛隊による米軍支援を大幅に拡充する法的な裏付けとなる法案だから成立すれば、専守防衛を本旨としてきた日本の安全保障政策は大きく転換することになる。

 国の将来にかかわる重要な個々の法改正を一括して国会に提案するのは乱暴だ。審議などしなくていいのだという姿勢だ。将来、自民と公明は永久犯罪人となるかも知れないな。何が何でも自民党にしがみついて政権にありつきたいのか、公明党は「国会の関与」を法案に盛り込むことで対面を保とうとするかのような姑息とも思える対応をしてきた。フン!
 野党にはしっかりした審議を頼みたい。くれぐれも、些末な事柄で時間を費やさないように!本質を忘れるな!などと願う。

 そうした危惧を抱きながらも夕方はハナ(女犬・11才)の散歩を済ませ畑の点検に行く。
 エンドウは長けているので近々処理せねばならない。カスミソウも草に囲まれているので救援が必要。
 いずれにせよ、草との戦いが続くことを確認。こちらは安全な戦いだ。


〔エンドウはそろそろ始末の時期(画像クリックで拡大)

昔と違うのか

2015-05-13 | 愛犬ハナ

〔ベンチには全く興味ないようだ(画像クリックで拡大)

 ホームセンターに行ったついでに木製ベンチを買った。1万800円。内800円は消費税だ。喫茶店に立ち寄ってモーニングサービスなどを食べて帰れる値段。税金は高いぞ!を又も実感する。

 家でベンチの組立。説明書の字が小さいし図解も分かり難い。素人用にもっと丁寧になどと言いながらも何とか組立完了。
 実は、ハナは昔、今は亡き母と軒下のベンチで場所の奪い合いをしていたので、今は懐かしくなった思い出を再現してやろうとの考えだった。だが、期待外れだった。もう若くはないからなのか、横に座る人間が違うからなのか一向に興味を示さない。仕方ないので実力行使を試みる。抱き上げてベンチに載せ「シット」と言うと座った。続いて「ダウン」と言うと伏せ状態になる。できるではないかと感心し目を離すと地面に降りていた。やはり駄目なようだ。当時とは違うのか。

 1万800円、他の利用法を考えよう。
 台風、過ぎた今頃に時々強い風が吹いているが、心地よい程度でもある。

迎えに行けない

2015-05-12 | 日々の暮し

〔今夜8時頃が台風との勝負らしい(画像クリックで拡大)

 何と、今頃に台風6号だという。奄美大島、沖縄などでは猛烈な風だったとのこと。我が地域では今夜8時頃が決戦になるらしい。

 この時刻は電車の駅はラッシュ時だ。多分、風速は落ちているだろうから残る問題は降雨量で、大和川が増水したらそこを越える鉄橋が閉鎖され電車はストップする。ホームに人が満ちる。

 夜遅く、娘から電話で迎えに・・・となっても、酒飲んだからなぁ。費用は補填するからタクシーを使えとしか言いようがない。「補填する」だけでも未だ親としての気構えがあるということだが、多分、そんなもの、受け取らんだろう。
 成長する娘と退化する父。遠くなることに淋しい思いもあるが動物界はそれでいいのだ。

今年の芋は不作だろう

2015-05-11 | 家庭菜園

〔種イモの蔓が伸びるのを待つ(画像クリックで拡大)

 今年もサツマイモを植えようと苗屋に出向く。干からびたような蔓が並んでいるが、これで大丈夫か?たぶん大丈夫なのだ。

 ところが、カミサンは迷わず直ちに蔓の出ている種イモを買った。この蔓を伸ばして植えるというわけだが、気の長いはなしだ。反対はしたが、カミサン購入。家に帰って鉢に芋を挿してご満悦の様子。
 今年の芋は、多分、不作と直感する。芋がなくても命に別状はないので、長いお付き合いを大事に、、、というところ。

水路と遊ぶ一日

2015-05-10 | 日々の暮し

〔ハナ。ウンザリしているのか元気なし(画像クリックで拡大)

 朝から地区の水路掃除。腰痛持ちの小生が川に入ると止めろと引き上げられた。無念じゃ~。
 午後からも別の水路掃除があり参加。結局、丸一日水路と戯れていたことになる。ご褒美はそれぞれ冷えたお茶のボトル1本だった。

 帰宅後、泥の匂いの沁み付いた衣類を着替えてハナ(女犬・11才)の散歩に出る。途中、あちこちで知り合いに出会い話し込むことになったが、ハナは待つのにうんざりしたのか機嫌が悪くなっていた。

 食卓に花が置かれていた。カミサンに聞くと娘からだという。「母の日」だった。自分の母が亡くなってからはプレゼントすることもなくなり、忘れがちな日となった。少し寂しいが仕方ない。


〔娘からカミサンに〕

シャクヤクと不発弾

2015-05-09 | 日々の暮し

〔ピンクの芍薬が咲いた(画像クリックで拡大)

 「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」(もう死語か)。そのその芍薬(シャクヤク)が庭に咲いている。何ともいいい色だ。

 人間界の話。
 大阪・ミナミの南海難波駅近くの繁華街で不発弾が見つかり、今日(9日)午前に撤去作業があった。約70年前の大阪大空襲の際に米軍が投下したものらしい。1トン爆弾で、長さ1・8メートル、直径60センチというから結構でかい。これを処理したのは陸上自衛隊桂駐屯地(京都市)の不発弾処理隊の方々。業務とはいえ危険の伴う仕事に感謝する。
 ちなみに、大阪市によると、1955年以降、今回も含めて市内で87個の不発弾が発見されているそうで、これから先、未だ在るかも知れない。工事現場は安穏と穴を掘っているわけにはいかないということ。戦争の後始末は今も続いている。

 「真っ白な明日」はなかなか来ないということだ。
 人の世のことなど我知らずと咲く芍薬が羨ましくなる。

無事に感謝

2015-05-08 | 日々の暮し

〔様々な人生を乗せて電車が行く(画像クリックで拡大)

 朝から墓参りを済ませ、図書館に本を返し新たなものを借りに行く。そのついでに、少し遠くにある大きなホームセンターへ。希望のものはなく、帰りに「ダメ元」で立ち寄った小さなセンターにあった。ワカランものだ。

 途中、電車を見る。今は乗ることもほとんどなくなり他人事のように映る。あの小さなな箱のなかに様々な人生があると思うと面白く感じる。

 そうそう、墓参りの帰り、麦畑を見つけた。昔は田植え前に麦を刈り取る風景が普通だったが今は麦自体が珍しくなった。少年の頃、麦の根元にあるヒバリの巣を探したものだった。一瞬、そんな頃が蘇ったが遠い遠い過去のことだ。

 かくして今日も終わる。感謝。


〔今は珍しくなった麦(画像クリックで拡大)

クローバーとミツバチ

2015-05-07 | 日々の暮し

〔畑から移植。評価の低い庭のクローバー(画像クリックで拡大)

 畑から裏庭に移植したクローバーの評価が今も低い。雑草を移植する人がいるのかというわけだが、雑草という観念が間違いなのだ。いいものはいい。
 その花にミツバチがやってくる。近くにいると羽音が聞こえる。それが何とも心地よい。生き物の一部を実感する。


〔盗人のような格好で飛び去るミツバチ。右端(画像クリックで拡大)

 飛び去る時、盗人のような恰好だったが、それは止めた方がいい。今度会った時に助言しよう。酒の席で何気なく言った方が罪を作らなくていいのかも知れないなあ。
 横でハナ(女犬・11才)が、どうでもいいわい、というようにウツラウツラしている。 


〔ハナは今日もマイペース(画像クリックで拡大)

尺取虫

2015-05-06 | 日々の暮し
 夕方、家に戻るとカミサンが「お父さん!庭の樫の木に尺取虫(シャクトリムシ=シャクガの仲間の幼虫)見つけた。小枝と見分けつかへん!」という。早く写真を撮れと助言するので、小心者の私はそうした。


〔さて、どれが尺取虫でしょうか(画像クリックで拡大)


〔カミサンに触られて右に傾いたこいつです(画像クリックで拡大)

 で、どれが尺取虫か分かりますか。私、分からずカミサンに聞いたら、彼女は恐れることなく虫の先端を手で引っ張った。そうすると奴は姿勢を変えて斜めになった。それを指さし、「これや、これ、分かった?」
 たかが虫ごときに天下を取ったように喜んでおりましたな、カミサン。
 
 突然に虫の話しとなりましたが悪しからず。

な、なんだ?まさか・・・

2015-05-05 | 日々の暮し
 帰省していた息子夫婦が帰った。見送ったあとデッキに座って何気なく周りを見ているとチュンチュチュチュと声がする。見るとスズメだった。それはいいのだが、彼(彼女)が動いている時に枯草もどきがフワフワと落ちてきて壁に引っかかった。と、いうことは、、、今いる場所に巣作りしている可能性があるということではないか。そこはトユだ。まさか雨水の流れる所に巣は作らないと思うが彼らの最近の流行は知らんからなぁ。
 だが、我が家の決まりではそれは「いかん」のだ、困るんだよ。一瞬、梯子を持っている絵が浮かぶ。


〔何を見ている(画像クリックで拡大)


〔ピョンと向きを変えた(画像クリックで拡大)


[「枯草まじりが」落ちてきて壁に引っかかった(画像クリックで拡大)


〔以前、詰め込まれた枯草屑を撤去しネットで進入を阻止した図〕


〔電気の引き込み線で背中を突いてから飛んで行った(画像クリックで拡大)


〔その上をこれも飛び物、プロペラ機が行く(画像クリックで拡大)

 視点を変えて我が家の地上。
 サクランボの実と洗濯物が艶やかさを競う。洗濯物の負け。


〔地上では庭のサクランボが陽に輝く(画像クリックで拡大)


〔洗濯日和(画像クリックで拡大)

 世間は明日も休み。毎日ある意味「休み」の吾輩は明後日(7日)から忙しくなるはずなので体力を蓄える時だが、酒飲んで体力、気力が減りつつある。
 なるようになるさ。

憲法記念日に平和を願う

2015-05-03 | 日々の暮し

〔5月1日新聞。びっしりと6枚にわたって氏名の記載(画像クリックで拡大)

 先月末、厚労省が第2次世界大戦後に旧ソ連が設置した収容所などで死亡した日本人抑留者延べ1万723人の名簿を公表した。厚労省推計によれば1945年8月の終戦後、旧ソ連に拘束され収容所に送られた日本軍人や民間人ら約57万5000人がシベリアやモンゴルなどで森林伐採や鉄道敷設などの強制労働に従事させられ、5万5000人が死亡したとされる。5月1日の紙面をびっしり埋めるカタカナ表記された氏名(資料から漢字が判明しない)が言葉を失わせる。戦争は経過の全てで悲惨である。
 歴史は繰り返されるという。知らず知らずのうちに「いつか来た道」を歩いているということも。良い事が繰り返されるのは歓迎だが悪いのは御免こうむりたい。

 今日は憲法記念日だ。この夏は「憲法改正」が本格的な話題となるに違いない。その中心は自衛権に関連する事項だろう。その根拠となるのが中国、韓国との関係と日米同盟の強化と思う。中国、韓国は日本の歴史認識を問い続け、尖閣諸島、竹島などの領有をめぐって実力行使に近いことをしている。こうことから日本国民も感情的に・・・なるかも知れぬ。そのムードに乗ってしまうことが怖いと思う。こういう時は、一歩、足を止めてウ~ンと再考するのが大事かと思う今日この頃である。


〔天皇賞。1着はゴールドシップ(中央のグレーの馬)(画像クリックで拡大)

 京都競馬場で開催された第151回天皇賞・春をTVで観た。ゲートインで駄々をこねていたゴールドシップが1着になった。他の馬に迷惑をかけても走る時は走る。終わったあとは馬の皆様方にスマンカッタノウなどと一声をかけるゆとりが欲しけど、厩舎直行だろうな。
 お馬ちゃんはある意味幸せだ。競走馬の目標はただ一つ、速く走ることだけを考えれていればいい。人のように自分、他人、周りのことなどを考える必要がないから、煩わしいことなどないとおもうけど、どう?
 はい、人間の愚痴でござんすよ。
 終わり。

 息子夫婦が帰省中ににつき更新時間が少なく、見直しなしでの公開となります。

呼び方

2015-05-01 | 日々の暮し

〔今日から5月。夏日となった(画像クリックで拡大)

 カミサンを呼ぶときに「母さん」と言う。すると「私はあなたのお母さんではありませーん」と返事が返ってくる。そのくせ、ボクを呼ぶときは「父さーん」という。小心者なので呼ばれたら行く。

 何時ごろからお互いを「父さん」「母さん」と呼び合うようになったのか。結婚当時はそんな呼び方はしてなかったはずだ。思うに子どもができ、その子が生活リズムの中心になった頃からそうなったものと思う。子どもから見た呼び方になったわけだ。この理屈でいくと孫がいつも近くにいると「爺さん」「婆さん」、「ジイジー」「バーバ」と呼び合うようになるやも知れぬ。
 まあどんな境遇になっても「オイ」「コラ」は止めておこう。