赤毛のアン―赤毛のアン・シリーズ〈1〉 (新潮文庫) | |
モンゴメリ 村岡花子訳 | |
新潮社 |
「赤毛のアン」は世界中で読まれている名作だが、カナダ以外では特に日本とポーランドで人気があるらしい。
理由は、訳が素晴らしいからだと聞いたことがある。
5月の「本を語る会」のお題だったので読んでみた。
「赤毛のアン」は若い女性が読むもんだと思っていた。
でもそういう先入観はいけない。
いい歳したおやじがこれを読んで、終盤はうるっとすることが度々あった。
孤児院から連れられてきたばかりの頃のアンは空想家で、思ったことをすぐ口に出す、喋ってばかりのちょっとませた女の子で、読んでいてあまり好きになれなかった(因みに宮崎駿氏はアンが嫌いらしい)。
でも失敗をしながら成長し、誰にでも好かれる女性に変わっていく。
少しずつ私もアンが好きになっていって、最後は大好きになってしまった。
アンを孤児院から引き取ったマリラおばさんもきっと私と同じ気持ちだったと思う。
以下、心に残った文章を記す。
「でも私も競馬って、あまりちょいちょい行くところではないと思ったわ。だってひどく魅力があるんですもの。」(アンが競馬を見に行って)
「とても素晴らしかったわ。私の生涯で画期的なことになると思うの。でも一番良かったことは家へ帰ってくることなの」(アンが家から離れて学校に通うが、冬休みに帰宅した時)
「まるで誰かが春が来るまで森のもの全体を木の葉の毛布でくるんでしまったようよ。」(アンが親友のダイアナと森で過ごした時)
「むやみに小言を言うなという戒めが、教会にあっても良さそうなものだね。」(マリラおばさんがアンに)
「なつかしい、美しい考えは宝石のように胸にしまっておくほうがすてきだわ。笑われたりおかしなことだなんて言われたくないのよ。大げさな言葉は使いたくなくなったのよ。そういう言葉を使ってもいいだけの大人になったのに使いたくないなんて残念なことね。」(口数が減ったアンにマリラおばさんが「前の半分もしゃべらないじゃない?」といったことに対してアンが)
「それにミス・ステイシーが短い言葉のほうが長いのより強くて、いいとおっしゃったんですもの。」(同上、ミス・ステイシーは学校の先生)
「一生懸命にやって勝つことの次にいいことは、一生懸命にやって落ちることなのよ。」(アンが奨学金を受けられるかどうかの試験を前にして)
アンは自分のすべきことを見てとった。これを避けず勇敢にそれを迎えて生涯の友としようと決心した。 ー 義務もそれに率直にぶつかる時には友となるのである。(最愛のマシューおじさんが亡くなるという困難の後に)
道にはつねに曲がり角があるのだ
余談ですが、「赤毛のアン」の面白いブログがあったので、最後に紹介します。